野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第四章 野口整体とユング心理学― 心を「流れ」と捉えるという共通点 四 1①

四 心の時間と気の流れ

ユングの心的エネルギー論と野口整体の気の観方

  今回のテーマは「時間」です。東洋的に「時の流れ」と言ってもよいでしょう。

 私が塾生になって最初の年だったと思いますが、金井先生が整体指導を教える練成会で、先生が塾生の指導を行った時のことです。

 その日モデルになった塾生は、あるショックな出来事の後で、体も停滞し、頭のはたらき・心の流れが「止まっている」状態にありました。それが、操法でぱっと切り替わる瞬間を、私は自分の目で見ることができたのです。

 その時、はっと我に返るような表情とともに、止まっていた時間が一気に流れ出していくのが分かりました。整体操法(整体指導での体を通したはたらきかけ)は、気の転換の技術と言われます。まさに心の流れとは気の流れであり、気の転換の「時」を捉えた、という感がありました。指導時の内的体験としてのみならず、眼で見たという体験は、今も忘れられない感動として残っています。

 その後、活元運動で身心ともに停滞を振り切って指導を終えると、過去のある時点から止まっていたその人が、はっきりと「今、ここ」にあるのが分かりました。

 ドイツの作家ミヒャエル・エンデは児童文学『モモ』の中で、時間と生命について次のように述べています。  

時間をはかるにはカレンダーや時計がありますが、はかってみたところであまり意味はありません。というのは、だれでも知っているとおり、その時間にどんなことがあったかによって、わずか一時間でも永遠の長さに感じられることもあれば、ほんの一瞬と思えることもあるからです。

なぜなら時間とは、生きるということ、そのものだからです。そして人のいのちは心をすみかとしているからです。

   ここに焦点を当て、読んでみてください。

 二つの時間・クロノスとカイロス

― 一刻一刻を、全力を以って生きる野口晴哉の全生思想

古代ギリシアの二つの時間

 古代ギリシアが神話時代から自然哲学(ソクラテスプラトン)の時代になると、時間に対する二種類の考え方が確立していました。

 それは「クロノス・カイロス」という二つの時間です(二つの時間は、ギリシア哲学者たちが後世に残した偉大な遺産の一つである。クロノスは定量的・直線的・因果性を、カイロスは定性的・円環的・共時性を意味する)。

 クロノス時間とは、過去から未来へと一定速度・一定方向に進む(直線的)時間のことで、地球が自転しながら(一日)、太陽の周りを一周する周期(一年)、月が地球の周りを一周する周期(一月)など、宇宙(太陽系)の周期を機械的に計測した結果得られる物理的な時間です。これは、現代人の時間感覚と同じ、時計によって示され(機械的に流れ)る連続した客観的(数量化可能=定量的)な時間です。

 他方カイロス時間は、人間の心において意味のある(人が時により、個別の時間を経験している=定性的)「主観的時間」を表わし、速度も「変わったり、止まったり、逆流したり」という時間認識です。

 楽しい時を過ごしていると、あっと言う間に時間が過ぎるという経験を誰しもしたことがあると思います。この意味で「光陰矢の如し(月日の過ぎるのは矢が飛んで行くように早く、時を無駄に過ごしてはいけない)」という言葉があります。

 この反対は「一日千秋(非常に待ち遠しく、一日が千年にも長く思われる)」というように表現される時間感覚です。このように、人の心で感じる時間の速度は大きく変わるものです。

 場所や季節の変化では、田舎に行くと時間がのんびり流れていると感じたり、「春宵一刻値千金(春の宵のひと時は何とも言えぬ風情があり、千金にも値する)」という言葉もあります。これは、人が感じる時間の質的な違いです。

 そして小学校の同期会で幼馴染と出会い、子ども時代に時間が戻るということもあります。

 これらのように、時間に対する感覚が異なるのは、自分の意識状態(気持ちのあり様)の違いによるもので、こうした、人の心理的な時間を表わすのが、カイロスです。その中には「喜怒哀楽」の感情があり、この体感時間こそが人生の質を決定づけていると言えましょう。