野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第四章 野口整体とユング心理学― 心を「流れ」と捉えるという共通点 四 1②

 前回引用した、生命時間と貨幣経済の問題を主題にした児童文学『モモ』(ミヒャエル・エンデ)では、人間の生命時間を司るマイスター・ホラという不思議な人が登場します。

 マイスター・ホラは、あらゆる人間の時間の源である「時間の国」にやってきた主人公のモモに「人間はひとりひとりがそれぞれじぶんの時間をもっている。そしてこの時間は、ほんとうにじぶんのものであるあいだだけ、生きた時間でいられるのだよ。」と言います。

「本当に自分のものである間だけ、生きた時間でいられる」とはどういうことなのか?に焦点を当て、読んでみてください。 

二つの時間・クロノスとカイロス― 一刻一刻を、全力を以って生きる

②主体的に感得する時間・カイロス

またカイロスという時間は、次のようなチャンス(機会・好機)を捉える「主体的な時間」を意味します。

 プロ野球選手が、会心のヒット(特にホームラン)を打った時「ボールが止まって見えた」、と表現することがあります。あるブラジル代表のサッカー選手は、ディフェンスを突破し、その間隙をついてシュートするまでの速度が非常に速いのが特徴なのですが、彼は「皆は僕が速いというけど、僕は速いという感じがしなくて、周りが止まっているように感じる。

 また、一瞬でシュートを決めると言われるけれど、自分はその間に相手の動きを予想し、自分がどう動くかを考えていて、短い時間という感じがしない」と述べていました。

 このように見えたり、感じたりするのは、「気」の集注密度によるもので、究極的な時間感覚というものです。

 農村や漁村の人においては、年ごとの気候やその他の自然条件の変化を捉え、経験を通じてその意味を直感する「タイミング(頃合い・最も適した時機・瞬間)」や「めぐり合わせ」を意味します。

 作物を収穫する・漁に出るということだけでなく、医療・教育などの生きているものを相手に仕事をする人は、生命を捉える勘によって「今、自分がどのように行動すべきか」が求められます。

 今が、何月何日・何時何分であるかということよりも、どういう時であるか、この時にどんな意味があるのか、人間が、そのことを心において主体的に感得することが肝要で、カイロスは自らつかみ取るという、強固な意志が前提とされる時間なのです。

ギリシア神話に登場するカイロスの彫刻は、前髪は長いが後頭部は禿げた美少年の姿で、これは「前髪を掴み損ねると、後ろ髪を掴み直そうと思っても手遅れである」ことを表し、彫刻がイメージするのは、二度と来ることのない一回限りの瞬間性である。)

 禅語で、一生に一度しか会うことのできない貴重な縁を「一期一会」と言いますが、ギリシア語の「カイロス」は、これを最も正確に表現しているもので、日本人と古代ギリシア人が共有する共通感覚だと言えましょう。