野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第五章 野口整体と心身医学の共通点一(補)

(補足資料)東洋の修行法が目的とする情動のコントロール

 湯浅康雄『気とは何か』

意志の自由になる皮質(感覚―運動)系の機能と、意志から独立した自律系の機能は、まったく無関係というわけではなくて、情動作用によって関連しているのである。したがって、情動作用についての学習や条件づけによって、さまざまの一時的結合関係がつくり出される。

 東洋の修行法、特に瞑想の訓練は、この点に関係がある。瞑想の訓練によって無意識の情動をコントロールするということは、おおざっぱにいえば、意識=皮質的機能と、無意識=自律系機能の条件づけによる結びつきにもとづいて、自律系機能と情動のはたらきをより高度に――あるいは生命にとってプラスの方向に――発達させるということを意味しているわけである。 

 ここで注意しておく必要があるのは、東洋の修行法にみられる瞑想の訓練が、必ず呼吸法の訓練から始まるということである。

…気功の基本は調身・調息・調心の三つにあると言われている。これは道教・仏教・儒教の三つの哲学に共通している点である。「調身」は身体をととのえること、つまり身体能力の訓練であり、「調心」は心をととのえること、つまり意識と無意識を含めた心の潜在能力を高める訓練である。

「調息」つまり呼吸法の訓練は「調身」と「調心」を結ぶ中心的役割を課すものとして重要視されている。「調息」はまた「調気」と言いかえられることから明らかなように、「気」の訓練を意味する。したがって、呼吸法による「気」の訓練は、心の訓練と身体の訓練を一つに結びつける要(かなめ)の位置におかれているわけである。

 生理心理学は、この点について、現代的立場から解明する手がかりを与えている。高ぶった気分を鎮めるときに深呼吸をするというようなことは、誰しも経験のあることであろう。

 ここで注意すべきことは、生理学的にみて、呼吸器が運動神経と自律神経の両方から支配されていることです。呼吸器には随意筋と不随意筋の両方が関係しているということである。したがって呼吸は、深呼吸や過呼吸のように、意志によってコントロールし、ある程度までゆっくり呼吸したり早く呼吸したりできる。

 しかし眠っているときは意識の作用が停止しているにもかかわらず呼吸をつづけている。生理学的にみれば、このことは、呼吸器が運動神経と自律神経の両方に支配されていることを意味する。したがって呼吸法の訓練は、皮質と自律系機能の間に条件的反射性の一時的結合をつくり出すものと考えられる。

(ブログ用改行あり)