野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第五章 野口整体と心身医学の共通点 二(補)

心身一如の医学と死生観

 本文中にある引用ですが、長いので補足資料扱いとします。

  池見酉次郎氏は『人間回復の医学』(創元社)で、次のように述べています。

第一章 まるごと健康からの再出発

私どもは、三〇数年前から、…現代医学の在り方に対する反省として、心と体、心と病の関係を追及する心身医学に志し、身体的な検査や治療とあわせて、病める人の心と環境のあり方を調べ、心身一如の立場からからだの病気を治療する研究と実践に邁進してきました。

そのような研究の手はじめとしては、体の症状をもった神経症、次いで、心理的な色彩の濃い、いわゆる心身症身心相関胃潰瘍気管支喘息など)の診療に取り組みました。さらに、十年ぐらい前から、このような心身一如の健康観は、すべての人間の病に広く適応すべきものである…ことを、切実に感じるようになってきました。

このような全人的な視点よりするヘルス・サービスの中では、病気は、その人の生き方のゆがみに対する心身両面からのメッセージ、それまでの生きざまを改めさせるための貴重な体験ともなるものです。すなわち、医師の患者に対するサービスも、治療モデルから成長モデル(相手の人間的な成長を促す)へと発展します。

そこでは、患者自身が治療の主人公であり、医師は、患者自身が持つ治癒力を発動させるためのガイド、ときに助力者、ときに慰安者としての存在になります。患者自身が、発病から治癒に至る過程を見守り、それをよりよく生きていくための糧にできるように、指導するわけです。このようにして全人的な健康は、患者の責任となり、その責任の自覚を促すことが、医師の大切な役割となります。

…人間をまるごとにとらえて、人生の最終段階、すなわち死の臨床まで、人間らしく生きることを手伝う、そういう医師(宗教者の立場)がふえてほしい時代になってきているわけです。 

近藤より

 少し前まで「死なせない」ということ、死の否定が医療の至上命題のようになっていたところがありました。しかし、高齢化社会がさらに進み、これまで死因として書かれることの少なかった「老衰」が死亡診断書に書かれるようになったというニュースを読んだことがあります。

 病気のせいで死が訪れるのではなく、確実に起こる自然現象として死が受けとられつつある、大きな変化だと思います。

 私も、金井先生が亡くなる前日にICUに入った時、担当の医師と延命治療や死後解剖をどうするかという話をする機会がありましたが、医師の死についての考え方は変化してきていると思いました。

 これは、最も切実な宗教と科学の対話といえるもので、ここに述べられている医師の姿は整体指導とも重なります。ユングのところでも述べましたが、人生の午後にさしかかったら、死について学びを始める必要があるのだと改めて思います。