第五章 野口整体と心身医学の共通点 二8
「内界への適応」の大切さを説いた池見氏
― 野口整体は「潜在生命力の喚起」による人間的な成長を目標とする
池見氏が目指した心身症の治療の第一は、4から表してきたこのような病状への理解と「心身相関」への気づきを促すことです。
池見氏は「新しい皮質と古い皮質の調和」について、次のように述べています(『肚 もう一つの脳』)。
脳の構造
人間としての行動にさいしては、新しい皮質がもつ知性からの指令に従うだけではなく、古い皮質以下で営まれる情動や本能の心、生命活動にかかわる欲求などを、人間らしい形で解放し、充足することが必要です。それがうまくいきませんと、古い皮質以下にとどこおった情動や欲求が、知性の壁を突破して、生の形のまま暴走したり、それらが内向(攻)して、内臓の働きに混乱をきたして、いろいろな病的な身体症状を現したりします。つまり、基本的には、新しい皮質での意識的な知性の営みと、古い皮質以下での動物的、植物的な営みとの調和が大切なのです。
言い換えると、人は良く生きるために、個人として植物のように瑞々しく、また動物のようにたくましく(内界に適応)、さらに、人間としての生きがいが持てる創造的な人生を送る(内界との調和の上で外界に適応する)ことが、理想的な生き方となります。
外界に過剰適応しようとすることは、大脳皮質の働きに偏り、皮質下中枢の動物的・植物的な要求を無視し、感情や身体感覚を鈍くすることにつながるのです(内界への適応の働き・外界への適応の働き、両者のバランスが大切)。
池見氏は、心身症の治療の中心は患者自身が新しい適応様式を獲得するため、セルフコントロールできるようにすること、だと伝えています。
このような全人的な生き方ができる(脳の働きの調整をする)ことが、人間としての健康で幸せな人生のための「セルフコントロール」なのです(これが意識と無意識の統合)。
池見氏は日本の伝統に価値を見出した人ですが、基本が西洋医学者ですから、脳を中心とする理論展開です。野口整体では、身体を整えることが「求心的心理療法」となって、やはり脳を調えることになるのです。
外界に適応しようとする時に、身体感覚(身体の内側)を感じていないと、自分に不安定さがあり、その結果、周囲に対して過剰適応となるものです。自分の内側(身体感覚)を感じ取りながらだと、適応が過剰にならず(合わせようと無理することがなく)安定しているのです。
安定とは感情の安定で、これが、自身の基盤である「身体」を拠り所として、他者との関係性を築くことになります。
感情に対する気づきと身体の感覚は一つのもので、感じないでいては(自身の感情と感覚を受け取ることがなくては)、身体感覚が発達するものではありません。身体感覚が鈍いことは、快情動にも鈍感であり、体の要求に沿うことができないのです。
師野口晴哉のモットーは「要求」でした。(=要求と行動を一つにすること)
師は「健康の原点」という文章で、整体という生き方を、「健康の原点は自分の体に適うよう飲み、食い、働き、眠ることにある。そして、理想を画き、その実現に全生命を傾けることにある。」、と述べていますが、これは、体の要求に沿うことで健康を発揮し、より良く社会に適応し、自己実現を果たすという生き方・全生なのです。
つまり「内界への適応」を重視した在り方が「整体」なのです。野口整体での「内界への適応」とは、内的な変容・発達を意味するもので、「潜在生命力の喚起」による身体的・人間的な成長・発展を目標とします。
「内界への適応」と言うと、即、「外界への不適応」を連想する人が割にありますが、これは、「外界への不適応」を促進するものではありません。
「外界への適応」に熱心で、しかし困難さを感じている人は、実は「内界への不適応」を抱えた(内在させた)ままであることから、このような連想を持ち易いのです。
内界が調和することこそ、外界への適応力が養われるというものです(急がば回れ)。