野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第六章 生き方を啓く整体指導― 感情の発達と人間的成長三 1

三 池見氏の「禅と心身医学」― 禅文化と自己正常化能 

 第六章三は、第五章で紹介した池見酉次郎氏の内容に戻ります。

 以前、植芝守平師に合気道を学び、野口晴哉師に整体を学んだ後、ヨーロッパに活元運動を普及させる活動を行った津田逸夫氏の紀行文と、それについての金井先生の文章を紹介しました。

 津田氏の紀行文は1979年月刊全生二月号に掲載されましたが、同じ1979年の9月に池見氏はフランスで禅道場を行っている弟子丸泰仙氏を訪ねており、その時のことが取り上げられています。

 金井先生は、上巻『野口整体と科学』第五章で、

師(野口晴哉)が、西欧人に対して、野口整体の思想と活元運動を広めることを考えられたのは、「心身二元の問題に対してのことであった」と、科学哲学の勉強を通じて、ある時、直観的に理解するに至りました(禅の思想・行法は身心一元性を目指すもの)。

 と述べました。今回から始まる内容は、金井先生のこうした考えに考えに沿ったものです。

 心身医学の根本理念は、東洋の心身一如にあった ―「本来の自己」にめざめる

 第五章二 2で述べたように、1940年頃、アメリカで提唱された心身医学研究の当初は、精神分析によって、真我(本当の自分)をくもらせ、その発現を妨げる幼時からの不利な条件の本質を明らかにしようとするものでした。

 しかし、池見氏は『続・心療内科』で、このような精神分析的方法のみでは、真我に達しえないと気付き、ここからの精神的な転換の手掛かりになったのは、日本曹洞禅開祖・道元の『正法眼蔵』にある言葉であった、と、禅に傾倒していったことが述べられています。

 禅では「瞑想による自己への沈潜(定)によって、小さな自己をこえた大自然の営みとのふれあいを深めることで、それぞれの人を生かす絶対の知恵が現れる」という自己を忘れることを説いています。

 1970年、池見氏はスペインで催された第一回国際ソフロロジー学会(心の平安を科学する学会)で「禅の医学」について講演するため、文部省から派遣されました。

 これがきっかけとなって、氏は自分の心の支えとして親しんできた東洋の知恵(禅を中心とした宗教智)を、心身一如の医学を体系づける基本的な理念をなすものとして、本格的に研究するようになったのです。 

 その理念とは、患者の一人一人の中に宿る自己正常化能(自然治癒力・全生する力)を最高度に発揮できるよう、「本来の自己」にめざめることを援助する、というものです。

 このように、氏は、病を治す力は、「病める人」自身の中にあり、私はその力の発現を助けるだけだ、という立場を学問的に体系づけるための中心的理念を、東洋の叡智(禅)から学んだと言います。

 これは、私の言葉では「拘る・貫く・突き抜ける」に相当します。真我の発現を妨げる幼時からの不利な条件の本質を明らかにし(=拘る)、そして、そのような自分ゆえに道を求め(=貫く)、而して「本来の自己」にめざめる(=突き抜ける)ことです。

 そして「私が過去24年にわたって、9回の外遊を通して国の内外にさがし求めていた、真に人間的な医療としての心身医学の根本理念(青い鳥)は、東洋の心身一如の哲理の中に秘められていた。」と述懐しています。

 このような池見氏が、1979年9月、ヨーロッパで禅を広めている弟子丸泰仙老師を訪ねることになりました。