野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第六章 生き方を啓く整体指導― 感情の発達と人間的成長一 3

「感情を言葉にできない」と自分のことを考えることができない

― 感情のやり取りを通じて進む心理療法

  心理療法の視点からは、対話を通じての(本人の)「感情への気づき」が、閉ざされた潜在意識を開く鍵となるのです(悩みの核心を打ち明けることは脳の働きの正常化を促す)。

 しかし、感情や欲求を伴う内向的な対話が不得手な人々は、自分の気持ちや思いについて質問されることを嫌い、「自分の生活状況・仕事環境」を、客観的に説明口調で話すことが多いものです。

 これは、社会生活に対しては過剰な適応状態にあるのですが、心理療法への適応は良くない=外界に対する適応重視で、「内界(自身)に対する不適応」を意味します。

 私は、背骨の観察を通じ何らかの「情動体験」を把握した後、「どのようなことがありましたか」と聴くことが多いのですが、この時「何日にどのような出来事(行事)があった」と、行動などの事実関係を客観的にのみ語ろうとする人があります。

 これに対し「いや、あなたの心の内でどのような感情を体験したか、なのですよ」と言うのですが、これ(その出来事で何を感じたか)への応答が極めて乏しい人がいるのです。この時私には、その人の感情の未発達さと「身体感覚」の低さが明瞭に観察できます。

 このような傾向を持つ人は、精神的な共鳴と身体的な感動(気の感応)がなく、私との間に親和関係(ラポール)を築くことができないのです(師弟関係においては「感応道交」が大切)。

 こういう場合、個人指導の進みは悪く、自身の感情を自覚できるまでには、個人指導(心理療法)を重ねること、身体的訓練(活元運動=瞑想法)を根気よく続けることが必要なのです。

 本気になれば、中年からでも挽回できます。

 自分の微妙な感情の変化に気づき、言葉にしていくことは、心身に落ち着きを取り戻すために必要なことで、私たちの健康維持にとりきわめて大切なのです(心が落ち着くことで体の力が脱け、それで自然治癒力が良くはたらく)。

 感情が未発達なことから「対話」能力不足となり、ストレス(不満や怒り)による葛藤状況では、困難に対処するのではなく、逃避したり衝動的に行動したりしてしまうのです。

「感情」を理解することは、自分の心と体の関係だけでなく、他人との関係のあり方を理解する上でも欠かせないものです。

 自分自身の感情(情動)や葛藤を認識したり表現したりすることが苦手(=感情が未発達)なことは、「空想力・想像力・創造性・共感性」が乏しいことを意味します。

 病気の有無にかかわらず、感情の発達が人間関係を豊かにし、人生を有意義なものにすることは言うまでもありません。

 自分の内的な感情に気づき表すこと(内界を認知する自我のはたらき)と、自分とは一端離れた視点(他人の視点に立つ)を持つこと=自分を客体化できることとは、実は密接に関係しています。

「感情を言語化できない」ことは「自分のことを考えることができない」ことにつながり、(このように感情が未発達なことは)人間の未成長をもたらすのです。