第六章 生き方を啓く整体指導― 感情の発達と人間的成長一 6
情動に対する抵抗力と身体
子どもは敏感ですが、それによってすぐに動揺し、母親を求め、母親に受け止められることで安心を撮り戻そうとします。
子どもの時はこれが自然で、このような依存の要求が十分充たされれる必要があるのですが、こうした要求が十分充たされることなく育った人は、先に述べたストレス耐性が弱くなる傾向が強くなるものです。しかも、依存の要求が十分充たされて育つ人は、現実には少ないと言わねばなりません。
子どもは焼きもちを焼いたり不貞腐れたりして、情動をそのまま表に出しますが、自分で「私は今焼きもちを焼いている」「この言葉に怒っている」などと自覚しているわけではありません。自分の心として感情を感じているわけではなく、突き動かされてどうしようもなくなっているのです。
そういう時、子ども周囲の大人に「嫌だったんだね…」など、感情を一緒に受け止めてもらい、安心を取り戻すという体験を通じ、情動を感情に分化させて(意識化し発達させて)いきます。小さいうちは、親、周囲の大人が、自身の心の落ち着きと愛情で、子どもの心を落ち着かせてやる必要があるのです。
本当の意味での身体感覚と、感情を受け止める主体としての心(自己感覚)は、体が大人になり、個体として独立していくとともに発達していきます。
その中心は腰椎と骨盤部で、感じたことを自身で把持するには、下体の発達と下腹に力が入る安定感が、身体的な前提となっています。身体感覚に注意を集めて主体的に感じる、変化を追う能力というのは、思春期以降、性成熟に伴い発達していくものなのです。
ですから、ストレス耐性を高めていくには、快・不快で反射的に動かされたり判断したりせず、それを受容することのできる体と心の「器(キャパシティ)」を育てる必要があるのです。
身体感覚はもともと非常に個人差があり、偏りもあるものです。感じやすいことが良いのではなく、呼吸の変化や骨格筋の緊張などの生理的な情動反応を強く感じると、それですぐに不安になったり、動揺してしまうという人もいます。これは過敏な状態になっていて、こういう時は感じていること(場所や感覚の強度など)があまり正確ではありません。
一方で自分に情動が起きたことに気づくのが遅く、かなり強い変化が起き、興奮が高まってからでないと感じない、という「鈍り」という問題がある人もいます。そのどちらも、ストレス耐性は弱い傾向にあるのです。
「整体であること」を理解するために必要な「得・身体感覚」、「育・感情」
野口整体では身体感覚を重視する(整体とは敏感な体)ことから、私は指導に先立ち、背中を観察した上で、「今日はどのように感じていますか」と、いつも(その日の気持ちや身体感覚を)尋ねてきました。
これは身体感覚の発達(本人が感覚に問う)を促し、失体感症的傾向を修正するための意図的行為だったのです。
また指導の本番に入り、背骨を観察し何らかの情動を捉えた上で、「どのようなことがありましたか」と尋ねるのは、「感情への気付きとその表出」の発達を促し、失感情症的傾向を修正することだったのです。
感情が具体的客体として表れた〔身体〕を長く観ることを通じて、やがて、主観である感情を扱う能力が「心理療法」の技術となりました(これがじねん流心療整体)。
普通、感情は他者から見ることができない主観的な存在とされていますが、〔身体〕を洞察する(体中を動員して観(み)通す)ことで捉えることができるのです。
感情と身体感覚への気づきとは深く結びついており、少しでも感情を表出できるよう援助することが大切という「直観と信念」が、若い頃からの私の指導基盤にありました。
私の「じねん流心療整体」は、情動を通じて、身体感覚と感情の発達を促すものとなっていたのです。
私の個人指導で対象となっている人は、西洋医療での診断を仰ぐ場合が稀にはあるものの、第五章で取り上げている「心療内科」に通うほどの病状を持っている人は少ないのです。
しかし、失体感・失感情傾向を修正することでの「敏感で有機的な身心を育成する」ことは、「症状(病症)を経過」し、「自分の健康は自分で保つ」ために欠かせぬことです。
「失」ではなく「得・身体感覚」、「育・感情」が、「整体への道」を進むことなのです。