野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第六章 生き方を啓く整体指導― 感情の発達と人間的成長 二 2②

 前回の個人指導の後、Sさんは先生と電話やメールでやり取りをしながら、子どもだった時のことを振り返りました。今の自分と、子どもだった時の自分がどのようにつながっているのかが、今回の主題です。 

② あきらめ癖の背景― 要求を中断することで形成された潜在意識

・親の顔色をうかがって育つ

 Sさんは3歳から小学校6年生までピアノを習っていましたが、ピアノをまともに引くことはできず、ピアノは楽しいという思いもありません。ピアノは子どもの時から大嫌いだったのですが、母親の機嫌を損ねるのが怖くてやめたいと言えなかったのです。

 おばあちゃんが作ってくれた味噌汁を「おいしかった」などと言うと、母親がかんしゃくを起こすので、Sさんは「そういうことは思っても口に出してはいけないのだ」と学習し、おいしい、という快を感じることそのものがいけないような気になっていたそうです。

 父と母の関係は良くなく、家族で出かけた時は、子どものSさんが楽しんでいるふりをして、両親の間の冷たい空気を必死に払しょくしようとしていました。

 家族で買い物に出た時、家族旅行の時なども、世間に「良い家族」と見られるように明るくふるまうことを自分の義務だと思って、嫌な感情を抑えていたのです。心の奥ではSさんも冷め切っていたのですが、写真を撮るのが好きな父に合わせ、仲が悪いのに笑顔の家族写真を撮ったりして、形式的な「良い家族」の振りをしていました。

 中学生になって、自分が出てくるようになると、母親が「この子は、あまり関わらないほうがいい。」などといちいち干渉してくることに「そんなことお母さんに言われたくない!」と反発したこともあるのですが、その後の母の感情的な態度に嫌気がさし、我慢することを選んだといいます。

 Sさんは、常に母親の顔色を見、母が不機嫌になることを恐れていました。服を買う時でも、無意識に母親の機嫌を先に伺ってしまい、母が薦める(母親が気に入った)服を、自分も気に入っているという振りをしていたのです。

・負けることは許されなかった

小学生の頃から、何か弱音を吐くことは、「そんなこと言っていたら生きていけない。」と全否定され、いつも「がんばらなくてはいけない」という母親の気に追い立てられ、責められるように感じていました。

 母はすぐ、よその子とSさんを比較し「○○ちゃんは、~ができてすごいわねぇ。」と言うのですが、Sさんはそれに恐怖を感じ、「がんばっていないと、家にいてはいけない存在(家にはいられない子ども)になってしまう」という気持ちになりました。それで自分で自分を頑張らなければいけないと追い立てるようになっていったのです。

 頑張っても結果が出せなかったとき、母親に「つらかったね。」「くやしいね。」と一度受け止めてもらうという経験をしたことはありませんでした。

 そういう時、両親は「努力が足りなかった。」「○○さんは、もっとすごい。」などと言い、却ってSさんの足りない点を責めたのです。「だったら、言わない方がまし」と思い、Sさんは、辛い気持ちをぐっと押し殺して、次の頑張りにつなげようとしました。

 Sさんは現在、小学校の教師なのですが、Sさんは人の気持ちを共感的に、ありのまま受け止めることが苦手で、頭で「そうしよう」と意識しないとできない、と言います