③潜在意識に形成された「不安」がいざという時顔を出す
Sさんは、大学受験の際も、「第一志望の大学に受からなくても仕方ない」というやる気のない取り組みになってしまいましたが、大学入学後、アナウンサーになりたいという夢を見つけました。
そして、その方向に向って歩み始めたのですが、ある大きなチャンスが巡ってきたときに、怖くなってその道に進むのを自分からあきらめてしまったのです。
振り返ってみると、大きなことから小さなことまで、あきらめ癖は相当なものだったと気づきました。野口整体の「全生」思想を学んだものの、自分の本当の気持ちが分からないのに、「全力発揮しよう(しなければ)」と思っていたそうです。
そして、いつも付きまとっていた「不安」のために、「本気」になろうと思っていてもなれなかったのは、そもそも自分の「本当の気持ち」を見ようとしてこなかったからだと気付きました。
「あっ駄目なんだ!」とすぐあきらめる癖がついたのは、それ以上自分が傷つかないようにするための防御方法で、そうすることしか、自分を守る方法を知らなかったのです。
あきらめることで、「これ以上、傷つきたくない」と、不満な自分を分離し、見ないようにする。あたかも合理的であるかのような、自分の感情を切り離すための頭の使い方を「気持ちの切り替え」と混同しているところがある、と自分の問題を理解するようになりました。
Sさんは、自分の中にある不快情動を恐れ、逃げていたために、却って不快情動に囚われていたのです。不快かそうでないか、というだけで、「快」には注意が向かなかったそうです。
これまでSさんは、自分が何か闇に覆われているように思い、その闇に呑み込まれそうで怖くて仕方がありませんでした。恐怖がつきまとう毎日から、いつも抜け出したいと思っていました。
しかし、その闇は、自分から切り離したつもりになっていた「不快情動」だった、ということが、この個人指導とその後の振り返りでSさんにはっきりと見えてきたのです。
病症を経過することで、
整体への道に進む人を健康と呼ぶ。
金井省蒼
近藤のまとめ
子どもは、親に可愛がられなければ(=存在を認めてもらえなければ)生きる道がないので、親の意向を忖度し、顔色を窺っているうちに、「良い子(良い人)」と思われようと努めるのが習い性になってしまった人というのは、本人が気づいていない人も含めると相当にいるのではないかと思います。
Sさんの場合は、母親の怒りや不満(不快情動)に、いつも怯えていたことが、深く影響していました。
Sさんには捻れ型体癖があり、生来、勝ち気で頑張り屋なのですが、育ってきた過程で、感情の発露を抑えられてきたために、「やらなければ」と自分自身を追い立てるようになってしまい、主体的に、意欲的に頑張ること、勝負に出ることができなくなってしまったようです。これは第五章で紹介した指導例ともつながる所だと思います。
そして、強い不満を抑圧して「自分の要求は通らない」とあきらめてしまう癖は、気づくのが難しいのですが、健康に深く影響します。
野口晴哉先生は、赤ちゃん(子ども)に対する潜在意識教育というのは、「要求の通りに快く生活させる、それだけでいいのです」と述べています。本当に、ここが核心なのですが、そのように育つ人は少ないのが現実で、金井先生にもそういう傾向はあったそうです。
先生を知る人は意外だと思うかもしれませんが、先生は、周囲との軋轢や葛藤があっても、要求をあきらめないことを自分に課しているところがありました。
正坐、活元運動、背骨に気を通す…という整体の身体的取り組みは、ただ「悪い状態・不快を脱するためにやっている」というのと、こうした気づきを経て、自分に対する躾、教育のために行うのとでは全く意味が変わってきます。
Sさん自身、指導を受け始めて健康状態そのものは改善していったようですが、このような気づきが起きたのは、何年も指導を重ねた後のことでした。
しかし、気づきは始まりです。気づきがあっただけでも、一定の変化はありますが、本質的には体が発達することが本当の変化、成長であることを忘れてはなりません。