野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第六章 生き方を啓く整体指導― 感情の発達と人間的成長三4

「身体性」の文化とは自然の法則に従う生き方

 第五章二 2で紹介した第四回国際心身医学会(1977年9月、京都国際会議場)での池見酉次郎氏の講演で、氏は、東洋思想について次のように続けています(『セルフ・コントロールと禅』Ⅱより要約)。 

東洋思想においては、身体は魂(精神)の神聖な座と捉えられ(その中心が丹田)、「身体の智慧」が尊重されてきており、心と体は一つのものの両面である。

そこで「体のコントロールは、そのまま心のコントロールにつながる」という考えのもとに、身心的方法(体から心にはたらきかける法)が心のコントロールのみならず、全人的なコントロールの方法としても、特に重んじられてきた。この身心観に基づく日本では、「体得」という表現が用いられ、これは体を通してものごと(道)を会得するという意味である。

このようにして各種「道(剣道・弓道・茶道・華道・書道など)」の文化は、精神的なセルフコントロール自己実現、さらには悟りへの道というレベルにまで高められた。

 

 東洋宗教文化としての道はこのようなものでした。

 池見氏は同著で、東洋思想の「自然の法則に従う」あり方を次のように続けています。 

体の智慧

東洋思想によると、われわれ(伝統的日本人)の自己概念は、身体感覚への気づきの上に築かれるものである。しかも、身体は、直接自然と触れあっており、自然の支配下にある。したがって、身体に根ざした自己概念は、身体感覚や、体の中で働いている自然の法則(われわれのうちなる自然)を、たえず、生々しく感じとることを促すものである。

このような新鮮な気づきは、頭でとらえる概念的な自然への理解とは、質的に異なるものである。人間とその生物学的な環境との関係を研究する人類生態学の立場からすると、現代文明の自然に対する反逆は身体への反逆にもつながっており、これが、現代人の不健康、さらには、今日の世界的な危機の根源であるといえよう。

東洋の人たちは、自然の法則(かくされた秩序(暗在系))に従うことを最高の道と考え、これをある意味で、西洋文明における神の言葉への服従と同じように考えてきたものである。

このような東洋の道は、自然科学の考えや、それが目差す方向と、基本的には矛盾しないものである。

   池見氏が目指す心身医学の治療のゴールは、「科学万能の思想や排他的なイデオロギーに汚染されやすい娑婆を乗り越えて、自分を生かしている自然(宇宙)の掟にまで、人間の気づきを深めさせること」です。氏は東洋の身体智について次のように述べています(要約)。 

 東洋の坐禅などは、私たちを、居ながらにして、自然との一体感、宇宙的秩序への気づきへと導くものである。

 真のセルフコントロールに近づくには、「体の智恵」として生来備わっている自然治癒力に気付き、その自然の営みに目覚めるまでに意識が拡大されることが望ましい。「体の智恵」は、知性脳よりも、はるかに古くて深遠なものである。東洋の自己訓練法、禅・ヨーガなどにおいては、自然治癒力自己実現の可能性を刺激することの重要性が強調されている。

 そして氏は、続いて次のように述べています。 

東洋の死生観

東洋の英知にもとづく行法は、真我への一番深い気づきとして、人間の本来性としての避けがたい孤独や死、さらには、生きとし生けるものとの相依相関(持ちつ持たれつ)の関係を直視させるものである。このような自己の実相を、前向きに受けとめることによって、われわれは、真に今・ここに生き、創造的であり、無条件に他者を愛せられるというのが、東洋の道である。