野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第六章 生き方を啓く整体指導― 感情の発達と人間的成長三5

池見酉次郎氏について― 科学と宗教の統合というべき心身医学への道

 ここでは、第五章二から述べてきた心身医学を、日本で創始された、池見酉次郎氏の「人となり」を深めたいと思います。

氏は1963年に出版された『心療内科』に続き、1973年に出版された『続・心療内科』の はしがき で、その十年間を振り返り、

「私自身、幼い時から心身ともにひ弱であり、過去二十数年、波瀾に富んだ生活環境の中で、底のしれない人間的な業と日々に対決しながら、心身医学の研究ひとすじに生きぬいてきた。

その間、自分の健康や幸福の問題を心身医学の立場から追及することで、身をもってさぐりあてた知恵の数々が万人の救いにつながってゆくという驚きと喜びが、私流の心身医学が展開する原動力となっている。

 本書は、このような私自身の人生体験と身心相関の科学を縦糸とし、書物や多くの患者さんたちから学びとった自己コントロールの要領を横糸として編まれたものである。」

と述べています。

 そして、最終章である「私と心身医学」で、氏は最新の内科医学に通じながら、心の探究をすることの困難さについて、この十字架の重みに耐えかね、逃れようと、何度あがいてみたかわからないと記していますが、私には理解できるように思います。

それは、科学的(知的・批判的・分析的)であることと、哲学・宗教的(直観的・自己洞察的・統合的)であることを兼ね備えることは、きわめて容易ならざることなのです。

 第五章二 2にも書きましたが、これは、科学的な医学研究は現在意識によるもの、宗教の領分である「人間の魂を救う道」は潜在意識による(=学問としては確立しにくい)もの、という問題と私は考えます。

 それは、客観的に物事を捉える(切り離し対象化するはたらき)理性による科学研究と、主観的なつながり(自他一如)で行う「道」という相違というものです。

一般に科学に関心が強まることは、哲学・宗教には弱くなるもので、それは、科学の客観性・論理性・普遍性が、人間の心の非合理性、および人間の多様性に通じ難いものだからです。

 氏がこのような宗教性に取り組んだのは、その生い立ちにありました。

 池見氏が医学部に進むことを勧めた母について、生後間もなく実母に去られ、複雑な家庭の中で虐げられ育ち、その愛情欲求の不満を、わが子と一心同体になり、幼児期に果たせなかった夢を実現することに生きがいを見出した、と語っています。

 おまけに、このような母は池見氏が三歳の時、子どもと共に婚家を出たことで、池見氏が精神的に不安定な環境で育ったことが伺えます(父性の欠如)。

旧制中学時代のことを、心身ともにひ弱で生きていくことに消極的であったこと、そして、思春期の感情の動揺に伴い、胃腸症状に悩まされ育った体験から、心身医学の学会デビュー時のテーマが「消化管の心身医学」であった、と述べています。

 旧制高校時代には胃腸症状はいよいよ悪くなり、大学病院の内科の教授から不治であることをほのめかされると、自分で治すよりほかはないと思い、断食や玄米食を試した後、とうとう、ある宗教団体に飛び込んだことで、精神の転換によって体が見違えるほど逞しくなったとのことです。

しかし、宗教の力を過信したために病状が悪化した信者たちの姿を目の当たりにしたことで、現代医学と宗教を統合した医学が生まれることの必要性を考え始め、ここに、池見氏に「心身医学への道」が萌芽したのです。

そして、同文で、

「心身医学、特にその治療面に深入りするにつれて、真に患者(の心)を動かすものは、私自身の生活体験を通して掘り当てられ、あるいは確認された人間性の真実であることを知らされた。また、自分が治療者というよりも、一個の人間として患者と出会い、ともに変化し、発展しあう過程を歩んでいることに気がついてきた。」

と、「道」としての医療のあり方で結んでいます。