野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

終章 瞑想法(東洋)と心理療法(西洋) ―「生命の原理」を理解し、無意識の世界を啓く 一2

 金井先生は、新型コロナウイルス禍を見ることなく亡くなりましたが、私は新型コロナウイルス関連のニュースなどを読むと、金井先生と話がしたいと痛切に思います。

スーパーに行って帰って来るだけで、総合病院に行ったような消毒の匂いが体から立ち上るのが日常になっている今、正常な感覚というものを改めて捉えなおす必要があるのではないでしょうか。

明治以来の近代科学文明と伝統的な東洋宗教文化 そして、敗戦後の「道」の喪失について

 現代日本の多くの人々は、敗戦(1945年)後の科学至上主義教育により、無意識的に、科学絶対主義(科学的世界観が唯一)となっているのです。これは、意識が理性偏重となっていることを意味します。

 こうした人々においては、敗戦以前の伝統文化を基盤として成立した野口整体(の「身体性」)を真に理解することは、容易ではありません。

それは、敗戦以前の日本では、東洋宗教文化が結晶した「道」というものが、日本人の共通感覚となっていたのであり、現代では、この共通感覚を失っているからです。

そこで、理性に偏って意識が発達した現代の人々が、野口整体を身に付けて行く上では、先ず、科学を相対化し、野口整体の東洋宗教(とくに禅)文化性を、思想的に理解することが肝要なのです(註)。

(註)野口整体を身に付けるとは「整体を保ち全生する」こと。

整体とは意識が明瞭(雑念に支配されることが少ない状態)で、主体的に生活が出来る「身心」を言う。

「整体を保ち、生命を全うする」ことを説いたのが、野口晴哉の「全生」思想。

科学を相対化 科学的な視点やものの見方が、唯一絶対ではないと見なし、提示しすること。

  養老孟司氏は、三島由紀夫事件(1970年)、オウム真理教事件(1995年)を取り上げ、日本の伝統「道」、「型」が失われた現代日本社会での「対話の様子」と「身体性」について、次のように述べています(読売新聞「わが二十世紀人 ―― 三島由紀夫」1996)。 

(ブログ用改行あり・近藤) 

昨年、オウム真理教事件が起こった。私の頭のなかでは、三島事件オウム事件とが、もはや分かちがたく一体化している。私が知っていた東大医学部の学生がオウム真理教に入信していったのは、ヨーガを通じてである。

 三島が日本の伝統へ入っていったのは、歌舞伎の鑑賞を通じてだが、それは続いて武道つまり剣へ向かった。しかし三島は運動神経のない人だったので、最後にはボディービルになった。

 三島もオウムの学生も、なにより自己の身体を通じて、人生により深く関わっていこうとした。当人からすればやむを得ぬ仕儀、一種の必然かもしれないが、安易なそれがいかに危険かを、三島とオウムという二つの事件が示している。しかし現代人の常識では、なぜそんなことが危険か、と思うであろう。

 日本の伝統では、身体を通じて人生を深く理解していくことは、先達(せんだつ)に学びつつ、一生を賭(か)けるべき仕事だと了解されていたはずである。それがすなわち修行であろう。個々の修行が具体化したものが「道」であり、それが完成したものが「型」だった。

 それを自分一代の、しかも単純な思いこみを通して完成出来る。そう思ったのが「天下の秀才」三島であり、東大医学部の学生であろう(多くの東大医学生がオウムに参加していた)。

 三島とオウムの前に類似の事件があるか。ないはずがない。それが軍国主義と敗戦であろう。軍もまた身体がらみであることは、だれでも知っている。さらにその背景にあるものはなにか。

 そこで私は唐木順三の『型の喪失』という論文を思い出さざるを得ない。唐木順三は昭和二十四(1949)年、敗戦の反省をこめて書く。われわれの文化は明治以降、型を徹底的に失ってきた。大正教養主義はその典型的な表れである。ただし滔々たる教養主義の流れのなかで唯一、型を残したのが軍である(註)。

 その軍にすべてが引きずられ、とうとうこういうことになった。唐木順三はそう嘆く。畏るべきは型である。

  では「型」とはなにか。それは無意識的表現であろう。すべての文化は、意識的表現と無意識的表現によって成り立つ。言葉や芸術は意識的表現だが、身体はほとんどが無意識的表現である。それが無意識だからこそ、日本の芸事では一切を師匠のする通りに真似することになった。それでなければ「無意識的」表現など保存出来るわけがない。

 現代人は実在するのは意識のみだと信じている(これが、意識が理性偏重)から、そうした教え方を馬鹿げた封建的なやり方だと思っているだけである。

 勝海舟西郷隆盛が、江戸弁と薩摩弁で現代風の「話し合い」をしたはずがあるまい。それを通じさせたのが型であろう。以心伝心とはそのことだった。それが通じない時に、不信が生じる。

 だから戦後の日本は、言葉は氾濫(はんらん)したが、不信の社会となった。医師と患者も、教師と学生も、それなりに思い当たることがあろうか。この社会では、相互に通じていないのは言葉ではない。身体という表現なのである。

 

(註)日本の近代(西洋)化に伴う軍国主義の下、軍隊は身体を通じて、集団心理を支配する技術を持っていた。近代的軍隊の「型」とは、日本の伝統的な「型」とは違い、重心位置が全く異なるものである。

 この意味において、日本人は戦後「日本人の身体」を失ったのです。敗戦後の科学至上主義という時代においては、大正教養主義の時代を上回って「型」が失われたと考えます。

 このように、「身体性」という共通基盤が失われ、「理性」が発達した現代、野口整体を身につけて行く上で、「その思想を理解(哲学的に思考)することが第一である」と、私は考え、野口整体を科学に相対化し、論理的に表現する(思想として表す)ことを重ねてきました。

 上巻と同じく本書中巻も、このような考え方を受け継ぐものです。