野口整体と科学 第一部第一章 野口整体と西洋医学―身心一如(一元論)と心身分離(二元論)二1①
二 人体解剖学(機械論)に基づく近代医学と自然治癒力の喪失
― 西洋医学の歴史 ヒポクラテス・ガレノス・ヴェサリウス(ハーヴィ)
現在、日本の政党医療とされている科学的な医療=西洋医学は、ヨーロッパの文化的背景から生まれた医療です。それが近代になって、地球上に広くもたらされ、行なわれるようになりました。この近代医療が世界の正統医療となったのは、ヨーロッパの列強諸国が、軍事力を後ろ盾として競い合った植民地時代が始まりです。
今回から、この西洋医学の成立を医療史から学んでいく内容に入ります。近代以前、西洋の医学的な身体観、疾病や治療についての考え方の基盤はキリスト教神学でした。それが近代以後、近代科学を基盤とするようになったのです。
しかし、西洋には西洋の伝統的な身体観、自然観があり、それがギリシア・ローマ時代から現代にいたるまで連続しています。それを、西洋医学の歴史から見ていくことにしましょう。まずは古代ギリシア時代の名医、ヒポクラテスからです。
1 古代ギリシア・ヒポクラテスの医学と帝政ローマ・ガレノスの医学
― 自然治癒力を重視したヒポクラテスと解剖学を重視したガレノス
①ヒポクラテスの医学
西洋医学の歴史は、古代ギリシアのヒポクラテス(前460年頃~前370年頃)に始まります。ヒポクラテスは医学を、原始的な迷信や呪術から切り離し、臨床と観察を重んじる経験科学へと発展させたなど、その重要な功績から医聖と呼ばれます。
(ヒポクラテスは「医療の父」、ガレノスは「医学の開祖」とされ、共に西洋医学史上最重要人物。医師の倫理について記した「ヒポクラテスの誓い」はアメリカ・ヨーロッパでは医学生が必ず宣誓する)
医学が何らかの問題にぶつかった時、“ヒポクラテスに還れ!”と言われるのですが、その理由のいくつかを挙げてみます。
観察(今の状態を捉えること)と予後(患者の状態や、今後の病状についての見通し)を中心とするヒポクラテスは、感覚の全てを動員して、患者の状態を詳細に観察し、記録したのです。(師野口晴哉はヒポクラテスの医学を讃えている)
ヒポクラテスの施す医療は「体液病理説」―― 人間の身体は、血液・粘液・黒胆汁・黄胆汁の四体液から成るとし、体液の調和が崩れることで病気になるという液体病理説 ―― に基づき、体液のバランスをとり治癒する自然(ヒュシス)の力、つまり、人間に備わる「自然治癒力」を引き出すことに焦点をあてたものでした。
その具体的な観方とは、例えば風邪の場合「寒さが身体内に入り、体液の調和が乱れたので、寒湿の要素である粘液を体外に排出するために発熱し、鼻水や痰咳がでる。」と、症状を捉えるもので、症状は自然の治癒傾向を示すもの(症状=自然治癒力)であるから、それを助長する方向に治療は行なわれるべきであるとする考え方です。
それで、治療は冷すことでなく発熱をたすけるため暖めるなどの処方となる、というものです(類似(ホメオ)療法(パシー))。
ヒポクラテスは病気を部分的、局所的なものとは考えず、全体論的に捉えていました。
(全体論的に考えるには全身に行き渡る体液の変調で説明するのが都合が良い。部分が病むとするのは局所病理、また固体病理説という)
ヒポクラテス医学は「病名の無い医学」、「個体性の医学」とも呼ばれます。ヒポクラテスは、病症の経過については詳細な記述を残していますが、病名はほとんど記しておらず、彼の関心は、病気ではなく病床にある人間にありました(病状に対する命名=病名の特定をして、人間から切り離された病気を対象とするのではない)。
(註)古代ギリシアの医療は大きく分けて、ヒポクラテスを輩出したコ
ス派とクニダス派の二つがあり、クニダス派は内臓中心の「診断と処置」という現代の西洋医療と同様の手法であった(固体病理説→反対(アロ)療法(パシ―))。生命の神聖さを強調したヒポクラテス学派はギリシャ特有の傾向をあまり持っていなかったと言える。
ヒポクラテス医学
ヒポクラテスは病気を急性・慢性・風土病・伝染病の四つに分類し、病後の経過(予後)を悪化・再発・消散・分利・発作・峠・回復といった用語で分類した。
分利(crisis)とは、病気の進行中の段階のひとつで、この段階で患者が病に屈して死を迎えるか、反対に自然治癒で回復するかのいずれかが起こるとしている。