野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学 第一部第一章 野口整体と西洋医学―身心一如(一元論)と心身分離(二元論)二3

3 中世前期~中期(6世紀~12世紀)の西ヨーロッパの医学

 西方キリスト教社会では、修道院制度の拡大(四世紀からの信仰と生活を調和するための修道院の発達)に伴い、古代ギリシアの様々な文献の写本が修道士の重要な仕事とされ、写本制作(文献保存)という意味でギリシア医学がある程度継承されました。

キリスト教は、医療・医学の領域で有効な独自の理論を持っていなかった)

 修道院では主に巡礼者である旅人のための宿泊施設があり、それは病者や孤児などを収容する機能を有していました。(ホスピス、後にホスピタルと呼ばれる)

 そこで多くの病人を癒したキリストの生き方に倣(なら)うため修道士達は看護を実践していましたが、生活の面倒をみること、死を看取ることが中心で、修道士が直接患者の身体に働きかける医療はあまり行われませんでした(伝統医療や薬草の研究などにおける個々の実践的努力はあった)。

 病苦は神が与えたもの(試練)という神学的な解釈が支配的であったため、この施設は死後の霊的救済を保証するための場所とも理解され、臨床的な治療は十一世紀末(十字軍遠征が始まってからの本格的なアラビア医学の導入)までおろそかにされていました。

 また、一般民衆の医療は、土着の民間伝承医療が担うことが多かったのです。

 魂は肉体よりはるかに尊いものとみなされた(肉を蔑(さげす)み霊を重んずる)キリスト教では、「肉体の救済」である医療は、「魂の救済」としての信仰を補完するものとして信仰の下位に置かれ、真の治療は「奇蹟」としての神の救済によってのみ実現されると考えられていたのです。

 イスラムに渡ったガレノス医学が、西ヨーロッパで顕著になるのは十一世紀末のことです。それは(十字軍遠征を通じての以前に)、コンスタンティヌス・アフリカヌス(註)によって、アラビア医学がイタリアのサレルノ医学校にもたらされたことで、その活動が活発となったのです。

(註)コンスタンティヌス (1017年生 チュニジア

チュニジア北アフリカ)のカルタゴで三年間医学を学び、アブー・アル=カースィム(外科医・後に大学の基本文献となる解剖書を執筆)らの医書を集めてイタリアにもたらし、1077年にサレルノ医学校の教師となった。

  その後、十字軍(1096年~1270年)遠征の副産物として「西洋とイスラム文化の交流(註)」が盛んとなった時、西洋人はイスラムの高度な文化と技術(アラビア科学)に触れ、ギリシアの哲学(アリストテレス哲学)や科学を再発見したのです。

 それでギリシア医学(アラビア医学)も、十一世紀以後教会の認める正統医学として本格導入され、ガレノスの手法はルネサンス期を経て十六世紀までの間、権威を持つことになりました。

キリスト教化した西洋においては、自然治癒力という思想は、「神の恵み」として理解されたという意味で近代以前の医学に存在していた)

 こうして、十二世紀から取り入れられたアリストテレスの哲学などのギリシア文化やヘレニズム文化(アレクサンダー大王の東方遠征(前334年~)によって、古代オリエント世界(現在の中東地域、古代エジプト、古代メソポタミア(現在のシリアやイラク)、古代ペルシア(現在のイランやアフガニスタン))にギリシア文化が入り成立した東西融合文化)の優れた内容は、後の十四世紀以降のルネサンスに大きな影響を与えました。

(註)スペイン・ポルトガルイベリア半島は713~1492年、イタリアのシチリアは902~11世紀後半までイスラム支配下にあり、パリやローマよりはるかに豊かで国際的、自由で先進的な地域となっていた。

 また9~10世紀、地中海の海運はイスラム教徒に掌握されており、十字軍以外にも文化の接触があった。キリスト教徒が領土を奪還した後も「敗者は勝者を文化的に虜にした」状態が続き、11~12世紀のヨーロッパでは盛んにアラビア文献の翻訳とアラビア科学の導入が進められた。 

西洋の身体観

 古代ギリシア時代、ヒポクラテスは空気中のプネウマ(精気、空気、気息)が体内に取り込まれ生体を活気づけると考え、哲学者アリストテレスは植物プシュケー、動物プシュケー、理性プシュケーの3種のプシュケー(精気)があるとした。

 そしてガレノスは、肝臓にある自然精気(プネウマ・動物的本能)、心臓にある生命精気、脳にある動物精気)の3つを考えた。医学においては、脳・心臓・肝臓の三つの臓器が重視され、階層も脳が心臓より上であり、知性の主座とされていた。

 12世紀~17世紀のカトリックキリスト教)では、心臓をイエス・キリストの人類に対する愛の象徴とし、それを崇敬する聖心崇敬が盛んになり、心臓は神と人を媒介する場として心臓を優位と見るようになった。

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ヒルデガルト「宇宙の中の人間」13世紀ドイツの修道女による、大宇宙と小宇宙としての人間の図。