野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学 第一部第一章 野口整体と西洋医学―身心一如(一元論)と心身分離(二元論)二1②

 今回は、西洋医療史において、医療倫理面で高名なヒポクラテスに比して、医学面で評価されている、ガレノスについてです。

 前回補足資料で紹介したように野口晴哉は「ヒポクラテスは好きだが、ガレーン(ガレノス)は嫌いだ。」と言っているわけですが、その主な理由は「解剖学」「外科手術と薬物処方の多用」にあったと思われます。

 医学的には、ガレノスはヒポクラテスと同様に「生気(プネウマ)」の存在を肯定していたのですが、彼の多用した手法を用いた医療では、自ずと「自然治癒力」というものは見えなくなっていきます。そして、疾患だけを対象としていくようになっていくのです。

 では今回の内容に入ります。 

1 古代ギリシアヒポクラテスの医学と帝政ローマ・ガレノスの医学

自然治癒力を重視したヒポクラテスと解剖学を重視したガレノス

②ガレノスの医学

その後約六百年を経て、ヒポクラテスの「自然治癒力(体液病理・四体液説)」の思想を受け継いだのは、帝政ローマ(註)時代、ギリシアの医学者・ガレノス(129年頃~200年頃生)です。彼は、古代ギリシア医学の集大成をなし、西洋医学史上重要な役割を果たしました。

(註)帝政ローマ

(紀元前27年~)都市国家であったローマが、次第に他地域にまで拡大し、地中海を統一しローマ帝国となった。東西分裂(395年)後、西ローマ帝国は476年まで(西洋史では古代の終・中世の始)、東ローマ帝国は1453年まで続く。

 ガレノスは、ヒポクラテスの著書による四体液説の原理を基にして理論を創出し、後世に伝えられるよう整然とした体系に仕上げることで、ヒポクラテスの業績を永続的なものとしました。

ヒポクラテス本人の記述には理論体系があまり見られなかった)

 また外科手術を行い、臨床経験と多くの解剖(主に動物)によって、体系的な医学を確立したのです。

ヒポクラテスは使う薬の種類も少なく、出来るだけ用いない処方だったが、ガレノスは薬物療法でも多種類の薬を併用した)

 そして、ガレノスの医学は、ギリシア医学をアリストテレス自然学(註)で裏づけたものと言うことができます(西欧で19世紀の病理解剖学の誕生まで支持されていた)。

(註)アリストテレス自然学 自然学とは、ギリシア哲学の自然を研究対象とする部門で、哲学者アリストテレスによる、自然を総合的、統一的に解釈し、説明しようとする哲学。

  ガレノスの生命に関する根源的原理は、ヒポクラテス以来の「生気(プネウマ)」であり、人間の霊魂はプネウマ(生気・気息)を介して肉体を操っていると考え、四体液とプネウマの適度な混合が大切であるとしました。(プネウマは呼吸によって外気から取り込まれ、血管・神経を通って体に行き渡るという考え)

 しかし、彼はアレクサンドリア(エジプト)に伝わるミイラ製造の技術(註)から生じた解剖学を医学体系に統合したのです。

 当時、医学における解剖学は必ずしも重要とは考えられておらず、特にヒポクラテスの流れを汲む人々は、生体と死体を根本的に区別し、死体を解剖して得た知識を基礎に生体に関する研究を行うことには重大な錯誤があると主張していました。

(江戸時代、日本の医学者の多くも、これと同じ理由で蘭方の解剖学を認めなかった)

 こうして、内科的な見方を中心とするヒポクラテス医学に対し、ガレノスは外科的な面を発達させました。

 このようなことから、ガレノスは、ヒポクラテスの医学を一部前進させ一部後退させたと言われます。

 それは、彼は自身が体系化した「体液病理説」をヒポクラテスの名で後世に伝えましたが、解剖学を重視したことで、「自然は考慮することなく自ら道を見つける」という、ヒポクラテスの言葉にある人間の自然(ヒュシス)への畏敬が失われたことを意味するものと思います。

 ガレノスが解剖学を重視したことは、西洋医学が人間の体を「モノ」として捉える最初の理論的基礎となりました。

 体の「生きている」状態を(「モノ」ではなく)観るとは、東洋的に言えば「気」を感じることですが、これは体に、心・感情を捉えることと一つです。

 解剖学は、現代においても西洋医学の基礎であり、ガレノスが「心身分離」の西洋医学の歴史に遺した大きな出来事でした。

ガレノスの解剖学

 ガレノスは人体の仕組についての研究が、医学の基礎だと考えていた。

 彼は豚は解剖学的に人体とよく似ているという理由から、豚、サル、ヤギなどを使った解剖実験を行い、こうして得た解剖知識は、生きた動物を使った臨床実験によって広がりを見せた。ガレノスは実験医学の創始者ともいわれており、白内障の手術や、脳外科も含めて技巧に頼った無謀な外科手術も多く行ったという。

(註)古代エジプトの医学

紀元前三千年ごろの、世界でも最初期の医学書エドウィン・スミス・パピルス」には、人体解剖的研究、質問検査、機能試験、診断、治療、予後診断などが多数記されている。

 人体の解剖は行わなかったと見られるが、頭蓋縫合、髄膜、脳外部表面、脳脊髄液、頭蓋内振動、心臓が血管と接合されていること、血管により空気が運ばれること、肝臓、脾臓、腎臓、尿管、膀胱などについての記述がある。数々の慢性病の検診・診断・処置・予後についても詳述している。

 エジプト医学は、内科・外科などに分科され、解剖学・公衆衛生・臨床診断の領域で実用的な手法を開発し、現在七つの専門医書が発見されている。