野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学 第一部 第四章 科学の知・禅の智 一 1①

 今回から第四章 科学の知・禅の智 に入ります。

 ①では科学的な脳と体の関係について述べていますが、学科教育などにおける人間観の基であり、これ以外の領域は分からなくなっている人も相当数存在します。

 金井先生は、野口晴哉先生が晩年、潜在意識について「潜在しているものはなく、みな観えている」と言っていた…という話をしてくれたことがありました。私も『月刊全生』で、野口先生が「指導する立場にある人は、潜在しているものとしてではなく、表れているものとして感じられなければならない」と述べているのを読んだことがあります。

 つまり、人によって認識できたりできなかったりするもの(世界)があるということですが、そこに「意識」のあり方の違いというものがあるのです。それは共有できないものではなく、ある程度の普遍性があります。その域に至っている人と、そうでない人の違いというものです(一般に言う意識が高いという意味ではない)。その過程に身体行があり、野口整体もその一つなのです。

 今の自分の意識や感覚で「感じない・分からない」ものは信じられない、認めない…と思う人が多いのですが、自分の意識の範囲が「狭い」ということもあるのです。こういうことを踏まえつつ、この章を読んでいきましょう。

 第四章 科学の知・禅の智

一 体にある(身体性に拠る)物差し・共通感覚 

1 科学の心と野口整体の心 両者の意識の相違を知る 

①科学が想定する意識とは

 第三章では、理性に基づく科学の知がいかなるものかについて述べました。本章では、身体性に基づく禅の智とはどのようなものかを中心に述べたいと思います。

 近代科学の機械論的見方では、人間の知覚・認識とは、感覚器の機能や「大脳皮質(理性)」によるものとされます。

 日常的意識における “外界感覚 ― 脳 ― 身体 ”の関係の科学的見解は、次のようなものです。

 外界からの刺戟は、感覚器官(感覚神経)を通じて受けとる大脳皮質への入力情報(外界の状況に関するデータ)と理解されます。一方、情報出力は大脳皮質から運動神経を通じて、外界にはたらきかける運動器官が担っています(註)。

(註)感覚器の機能 → 脳 → 運動器官 視(眼)・聴(耳)・嗅(鼻)・味(舌)・触(皮膚)の諸機能を司る感覚器官で受け取った外界からの刺激は、感覚神経を通じて大脳皮質の感覚野に伝わることで感覚として意識される(情報入力)。意識された感覚刺激は前頭葉で総合し判断され、前頭葉から遠心性のインパルスが出され(情報出力)、運動神経を通じて四肢の筋肉をコントロールする(=運動器官のはたらき)。

 身体と外界との間には、環境から来る刺戟を受けとる感覚器官と外界へはたらきかける運動器官とによって、一種の情報の回路がつくられており、感覚神経は外界からの刺戟に対して受動的にはたらき、運動神経は能動的にはたらく(随意的)ことによって、身体(人間)は外界の状況に対応した行動をとることができる…と考えられています。

 これが、感覚器と大脳皮質(理性)による知覚・認識・行動という、科学的理解です。

 このように、科学的な身体能力の訓練とは、外界感覚―運動回路の潜在能力を高めていくこと、つまり外からの刺戟に対してより敏速に反応できる能力とか、より多くのデータを処理する能力を身につけていくこと、ということになります。