野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学 第一部 第四章 科学の知・禅の智 二 3

 今回は気の思想の基となった、易経の「気の世界観」が主題です。

 日本人には日本人の気の感じ方があり、中国人には中国的な気の感じ方があるというのも事実ではありますが、そこには普遍性があり、中国で確立した「気」を基にする世界観は、古代から日本に影響を与えてきました。

 ユングは、西洋人が中国人は科学を所有していないというのは間違いで、中国人は科学を所有している、それが易経なのだと述べています。これは西洋の科学とは異なる原理として「気の世界観」があるということです。

 それでは今回の内容に入ります。 

3 「道」の基となった『易経』の気の思想

第二章三 近代科学と東洋宗教(石川学)(1・2・3)で表した日本の「道」の基となった中国思想について、湯浅泰雄氏は、その原典『易経』(註)にある孔子の注釈「繋辞伝」、そして老子の『道徳経』を挙げ、「道」や「器」について説いています(『「気」とは何か』)。

(註)『易経

 古代中国の哲学と自然観の始まりを示す古典で、老荘思想儒教に大きな影響を与えた。

 「繋辞伝」では、みえないものが「道(タオ)」とよばれ、みえるものが「器」とよばれています。

「道」とは、世界の万物を生み出す母のようなはたらきをするもので、その「みえないもの」のはたらきが常に流れ動いて、万物に命を与えているというのです。この流れ動くみえないはたらきを、やがて中国人は「気」と呼ぶようになりました。

 そして「器」とは、山川・草木・動物・器具など、形と実体をそなえた「みえるもの」の世界のすべてのことで、それらはみえない「道」のはたらきの容器(いれもの)です(万物は、元来「道」のはたらき「気」を受け入れる受動的な容器という基本的性質を持っている)。

 このような、西洋思想(古代ギリシアに始まる)と大きな違いのある東洋の思想について、湯浅氏は次のように述べています(『「気」とは何か』 )。 

流体モデルの自然観と科学

…西洋の場合、「みえるもの」の世界に住む人間は、自分の力でみえない神々の世界に近づくことはできない。神々と人間という二つの世界ははっきり分離されているからである。…中世に確立したキリスト教の人間観では、人間は、肉体に宿る原罪によって神からへだてられた存在である。これに対して東洋では、人間は元来みえない「道」のはたらきの容器なのであるから、そのはたらきに従うことによって、みえない世界に近づくことができるものとされた。

 「気」とは、宇宙と人間を生かせているみえない「道」のはたらきであって、身体はそのはたらきが宿る容器なのです。

「道」と「器」は元来一つに結びついたもので、人間を含め、形ある万物は「気」のはたらきによって生まれ、生かされて生きているのです。「気」とは万物生成の根源なのです。

 この「みえないもの」(道のはたらき・気)は、人間にはまったく知り得ないというわけではなく、人間は「道」のはたらきによって生かされている、「気」を受け入れる容器なのですから、そのはたらきに従うことによって、見えない世界に近づくことができるとされました。

 人間も万物の一つであり、従って万物が発する気のはたらき方を知ることによって「道」について知ることができるようになるのです。

「仙人(道教)」や、「聖人(儒教)」という人格の完成した状態は、実践的努力によって、みえない超越的なはたらきとつながり、それと一体になった人間なのです。(私の知るところ、師野口晴哉植芝盛平翁がこれに当たる)

 野口整体愉気法や整体操法を行なうための行法である合掌行気法(指先・掌から背骨に)、また脊髄行気法(頭頂から背骨・腰髄に)は、ともに背骨に気を通す身体行なのです。

 思想と行法を通じ、気が通る「身心」となり、これを保っていくことが指導者としての修行(生活行)であり、それは「道のはたらきの器としての人間」への道程なのです。