野口整体と科学 第一部第五章 東洋宗教(伝統)文化を再考して「禅文化としての野口整体」を理解する 一7
7「対立」を超える「気」の思想
近代日本が生んだ二人の〈気〉の達人・植芝盛平翁と師野口晴哉、この二人を師に持つ津田逸夫氏は、パリを始めとしてヨーロッパで野口整体の思想と活元運動を広められました。
その縁で、津田氏の弟子、フランス人のジャン・ベナヨン氏が私のところに三週間滞在した(1999年11月)ことがありました。彼は十九歳の折、日本で空手を学び、翌年フランスのチャンピオンになったそうですが、津田氏に出会い「気の思想」を知ったことで、空手を捨てたと語っていました。
津田氏は次のように続けています。
ヨーロッパ事情
…すでに多くの人たちが認めた如く、ヨーロッパの言語には「気」に相当する語がありません。ヨーロッパ人に共通する点は、先ずこれだといえましょう。気は行動の本能的段階に直結するものです。
そこでヨーロッパ人は日本人のように何となくスッと行動に移ることができなくて、絶えず頭脳の論理的操作のワンクッションを経てからの行動になることが多いので、いわゆる上下型(註)の傾向になります。
気という語のない言語で、気の説明をするのは、豆腐を食べたことのない人に豆腐の味を説明するようなものかもしれませんが、別の見地からすれば、豆腐を食べたことのある人でも、味も判らず料理に使うことも知らない人もあるわけです。日本人は気と言う語を毎日何百回も使っているが、それだけで気とは何か、説明出来るわけでもなく、愉気が出来るわけでもありません。
しかしながら、語のあるなしに拘らず、気の観点からすれば、人間が生きている限り、気の動きは絶えずあるわけで、ヨーロッパ人だからとて、その点は全く同じことです。それで彼等の日常の生活体験の中からそれを取り出していけば共感を得ることは不可能ではありません。
何時の間にか、病気も恐ろしくない、バイキンも怖くないという人が多くなって来ました。だが、そんな説教をしたわけでも、考え方をおしつけたわけでもありません。人の考える事は自由ですし、一々おセッカイはしたくありません。しかしながら僕がやっていることを見ているうちに段々そうなって来たようであります。
(註)上下型
体癖の一つ。体癖とは、師野口晴哉が開発した人間の観方で、身体的特性(腰椎を中心とした体運動・体型)と感受性を一つのものとして研究した体系。中巻 巻末・下巻に詳述。
津田氏は、ヨーロッパ人の生活から「気の動き」を取り出し、気を説いたようです。私は、直接お目にかかったことはないのですが、この道に入りたての頃、講習会で一緒だった津田氏の夫人に気に入られていました。それは特に、私の「手」でした。
武術の世界において、戦わない武術は合気道だけです。
合気道は〈天・地・人の和合〉を目指すもので、哲学的・思想的に野口整体に近似しています。事実、両祖は親交がありました。
近代化の中にあっても、「気」により
この二つ、日本的な「気」の世界は、
とりわけ今日的な意義がある。