この後、三4にも出てきますが、私は金井先生から、野口晴哉先生の講義での話として「昔は『体の重心がどうもおかしい』「重心が上がった」と言って操法を受けに来る人が多くいた」という話を何度か聞いたことがあります。
以前の月刊全生の記事の中でも、「Mさんが『重心が上がっておかしい』と言うので、褒めた」という話がありました。Mさんは高齢の方で、野口先生は「今、そう言う人はいない」と言ったそうです。
今、重心上がる・下がるという身体感覚がある人は少なく、重心が低いことを「悪い状態」としている身体技法の先生もいます。腰が下がっているのと重心が低いことの違いが分からない様です。
こうした身体感覚を得るには、心と体の統一感、一体感を体験し、普段からそれを保持する訓練が必要ですが、整体を伝える難しさの核心に、重心の問題があるということができるのです。
4 重心の位置が意味する日本人の心― 戦後、さらに変化した日本人の身心
東京オリンピックが行われたのは1964(昭和39)年のことです。この時代までの日本映画を観ると良く分かるのですが、街並みのみならず、日本人の「体つき」が、現在とは違っていました。これを、身体の「重心位置の変化」という視点から述べてみます。
敗戦後30年を経た1975(昭和50)年、師野口晴哉は日本人の重心位置について、次のように述べています(『月刊全生』)。
「心と体は一つ」
…体の中心は腰椎の二番と三番の間からお臍の下、一寸の処にかけての線にかかる処に中心があります。そこに、きちんと力を入れていれば、心も体もきちんとします。
…そこで昔から、下腹に力を入れて動作する、下腹に力を入れて技術を修めるというように「万事、吾が腹に有り」と、お腹の力を大事にしました。それが大正時代では「万事胸に有り」そして「万事頭に有り」になり、今はへんに浮いてしまって「万事どこかに有り」になっておりますけれども、中心にあるのが本当です。
結核が大流行した大正時代には「万事胸に有り」、そして「うつ」など、脳の問題と見られる疾患が増え始めた1970年代には、「万事頭に有り」から「万事どこかに有り」と重心の問題について言及されているのです。
明治、大正、昭和と近代化が進み、敗戦後は特に、科学的高度工業化社会に適応するため、「理性」のみを発達させてきた日本人の重心は、腹(肚)から頭へと上がって行きました。
しかし、日本人にとって、身体の上でのこのような変化は、心の上でどれほどの変化となったことでしょうか。
師は、さらにこの時、
「こうも頭で生きる人が多くなってしまった」
「気のしっかりした人がいなくなった」
「このままいくと頭のおかしい人が増える」
と、将来を憂いておられたのです(これが、第三章一 1で著した内容)。現在はこの時から、すでに四十年を経過しています。
また、師は「いきなり刺す人が出てくる」と言われてもいましたが、果たして現代はそのようになってしまいました。
「腰・肚」に力がなく「重心が高い」ということは、樹木に例えれば、幹や根が細い状態に当たり、このような「不安定」さが心の問題となっているのです。
これは、「人間の自然の相」ではないのです。