野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

野口整体と科学 第一部 おわりに 1

 今日から、『野口整体と科学』の おわりに に入ります。

 金井先生が亡くなるほんの数か月前、編集委員から『野口整体と科学』を上下巻にしようという提案が出され、第一部を上巻、第二・三部を下巻とすることが構想されていました。

 そして、「おわりに」を第一部(上巻)につけることになったのです。それが今回から紹介する内容です。長い年月の間に何回も書かれた経緯もあるので、数回に分けて掲載していきます。

おわりに 1

本書の執筆を終えて

 前著『「気」の身心一元論』(2011年10月10日刊行)の改訂を始めたのは2012年春でした。この本の刊行以前より予定していた、姉妹編の二冊(今後刊行予定の中巻・下巻)の執筆も進めつつでしたが、この度ようやく、上巻として『野口整体と科学 活元運動』を纏め、その内容の推敲を終えることができました。

 これは、私が行ない考えてきた野口整体の世界を、主に石川光男氏(第一部第一章・二章)、湯浅泰雄氏(第一部第三・四章)、そして鈴木大拙氏(第三部第二・三章)の思想を通じて著すことができたものです。

 こうして、「科学とは何か」を知悉したい、という欲求に駆られ探求することで(2008年4月以来)、「野口整体とは何か」を科学(思想)的に表現することになりました。これによって私は、改めて野口整体の本質を捉えることができ、「禅文化としての野口整体」と、明確に表現するに到りました。

 

 敗戦後からの科学至上主義の時代には、西洋近代医学が、特に絶対的なものとして多くの人の拠り所となって来ました。

 これは、人間を心と体に分け、体を肉体 ―― 精神や心と対立する、物としての体(=生物化学的な機械)―― として研究し、医療に応用したものです。また、医療のみならず、あらゆる分野で科学至上の風潮(科学教)であったのが、敗戦後からの七十年という時代でした。ここには、「心身二元論」と、人間をも機械として見る「機械論的世界観」がパラダイムとなっています(第一部で詳述)。

 二元論と機械論による「科学的世界観」では、生命をも、心とか意識、自然といった周囲の環境と分離した存在とみなし、生命は閉じられた系(クローズド・システム)の中で動いている独立の現象であるという考え方(閉鎖系思考)をし、心や環境が生命の営みと密接な関係を持っているという発想はありませんでした。このように、これまでの科学的世界観は非連続的であったのです。

 第一部第二章(一 3)で、石川氏は「近代科学や民主主義が西欧で発達し、それらがいずれも全体の中の「部分」を重視しているということは、西欧文化を支える一つの特質を浮き彫りにしている。」と、この特質「要素還元主義」は、決してあらゆる文化に共通の普遍的なものではないことを説明しています。

 そして、現代の人々がその普遍性を無意識的に信じてきた(絶対的なものとして常識となっている)のは、背景にある文化を教えられていないことに要因があると強調しています。

 この「背景にある文化」を知りたいという欲求に駆られ、2008年4月より氏の著作数冊に取り組み始めたことで前著を刊行することができ、さらにこの本改訂を通じ、予定していた三冊を「科学の知・禅の智」シリーズとして位置付けることができました。

二〇一六年五月九日