野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第二章 江戸時代の「気」の医学と野口整体の自然健康保持 ― 不易流行としての養生「整体を保つ」二2①

気の思想を基にした「気の医学」と野口整体― 日本の伝統的な生命観・身心観 

 野口整体をよく理解する立川昭二氏の著書を通じ、日本の伝統的な健康論の本流「養生論」を代表する貝原益軒の『養生訓』を取り上げ、江戸時代までの(日本の伝統的)生命観・身心観を紹介したいと思います。

 太古の昔から、どの民族においても、人は生きる上での「心の拠り所」を、何らかの宗教に求めてきましたが、日本の文化では、歴史的・伝統的に、教義(のみ)に依らず、「身(み)」という考え方に依拠してきました。これは、江戸時代以来の「気の医学・養生」に見られる、「心身一如」の感じ方であり、「不立文字」である禅に通ずるものです。

立川氏の『養生訓に学ぶ』の中から、野口整体を理解する上で必要な、「気」の医学(「気」の捉え方)と野口整体の共通性を挙げて行きます。 

①『養生訓』の出発点、いのちへの畏敬

立川昭二氏は益軒の説く生命観について、次のように述べています(『養生訓に学ぶ』第一部 養生訓の思想 1 いのちへの畏敬)。

「わが身、私の物にあらず」

…人の身は父母を本(もと)とし、天地を初(はじめ)とす。天地父母のめぐみをうけて生れ、又養はれたるわが身なれば、わが私の物にあらず。天地のみたまもの、父母の残せる身なれば、つゝしんでよく養ひて、そこなひやぶらず、天(てん)年(ねん)を長くたもつべし。

  私たちのからだは天地父母から生まれ養われたもので、私のからだとはいえ、「私の物」ではない、「天地のみたまもの」である! と益軒は宣言する。

 ここには、人のいのちは「授かりもの」であり、ひろい天地と遠い祖先につながっているものであるという考えがはっきりと述べられている。

…私たち現代人は、子どもは「作るもの」という意識が強いが、伝統的な生殖観では子どもは「授かりもの」であった。最近の生殖技術の進歩は、子どもは「作るもの」からさらに「作れるもの」ということになり、人間の欲望を無限にかりたてている。

 子どもは「授かりもの」という考えは、自分のいのちも「授かりもの」という考えに通じる。それはまた、自分のいのちは自分をこえて他のいのちとつながり、宇宙全体にひろがっているという考えでもあり、自分のいのちであっても「私の物にあらず」という思想になる。

…このいのちへの畏敬の念が、じつは『養生訓』の出発点なのである。

   このような意味での「受動性」を生み出す考え方を「連続的生命観」と言います(西洋の「非連続的生命観」については上巻第一部第二章で詳述)。

「作るもの」という能動的に見える考え方は、実は人間を狭くしているのです。「自我」の視点から見た科学的な生命観と「自己(魂)」の視点から見た宗教的な生命観という相違です(自分の命は自分を越えて他とつながっている、さらに宇宙全体に広がっている)。