野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

体を整えることで心の力を啓く整体指導 ―禅文化としての野口整体Ⅰ 6

 心の力は身体にある

 今回は、禅文化としての野口整体Ⅰ 四 2(35頁)からです。

 少し戻って、三 1のKさんの指導例の冒頭には、Kさんのレポートの抜粋で指導前から「意識している」ストレスの内容が紹介されています。

 Kさんは何とか「打開策」を見出そうと、どうしたらいいかを考えていたのですが、情動的ショックの大きさは感じておらず、「どうすればいいのか分からないこと」がストレスだと思っていたようです。

 今、Kさんに限らず非常に多くの日本人(老若男女問わず)が普遍的にやってしまうことで、「私の体は私の頭より賢い」のNさんもそうでした。まず頭を使い「どうすればいいか考える」ことによって問題を解決しようとするのです。

 そして以前に書いたように私も同様の人間で、それで行き詰っていました。本当に人のことは言えませんね。この四 2にあるように「意識の中だけでぐるぐるしていて、無意識(身体)の世界を識らないために(心の世界が)大変狭くなって」いたのです。

 文中に「問題が起きた時、心(身)を「落ち着ける」ということをしないで(=動揺したまま)、その出来事なり事情を解決する方へ手段をめぐらすことを考えてしまう(調身・調息・調心を知らない)」とありますが、その通りでした。 

PDFに記載されているように、この教材は、Kさん以外の部分は上巻・中巻・下巻という未刊の本の原稿からの抜粋で、四 2の基になった文章は、『月刊MOKU』という雑誌に初めて金井先生の記事が掲載された2006年時のもの(「心を考える」は流行でしかない)です。

 これは私が塾生になるという時にできたのですから、頭では分かってはいたものの、まだまだ拠り所となる身体とはなっていなかったので、その後数年はその通りでした。

 そして、この根本的に間違った態度にようやく気付き始めた後、ここにある中村天風師の文章を読んだのです。金井先生はこの文章に続き、次のように述べています。

 この(天風氏が説く)「心の力」とは身体(潜在意識・無意識)にあるのです。東洋宗教(禅)文化には「調身・調息・調心」という行法 がありますが、これによる「心の力」、また「肚」というもの(=無意識・魂)の働きに、現代の日本人は無関心なのです。

 このことを、師野口晴哉は「意識だけの世界で呻吟して(あえいで)いる」と語っていました。

 さらに言うと「頭が心だと思うようになった」ということで、現代人は、考えることのみが心のはたらきと思い込むようになってしまったのです(感じることは心ではなくなった)。 

 この教材(禅文化としての野口整体Ⅰ)を作る時、金井先生はKさんと相当に密なやりとりをしていました。そして教材が完成に近づいた時、金井先生から、

 改めて、この世界は外側の問題(外界)なのではなく、つまり自分の(顕在)意識にある、直面していることという、そういう問題をどうこうする世界なのではなくて、「内側の世界の問題(内界)なのだ」と、思いました。

という言葉が出たのです。

 中村天風師は「およそ人生の一切の事件は、ほとんどそのすべてが自己の心の力で解決される。心の力こそは生命の内部光明である。」と言います。

 金井先生の整体指導では、「内側の世界の問題」に焦点を当て、無心になって整うことによって、これを実現していたのです。

 禅文化としての野口整体Ⅰは指導例がふんだんに盛り込まれています。この内容を通じて、人間が健康に生きる上で「心の力」というものがいかに大切か、またそのために体を整えるのが「整体指導」であり、病症の経過、瞑想行(活元運動・正坐・行気)の実践もそのためなのだという金井先生のメッセージを、受け取って頂けるものと思います。