野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

自然健康保持と情動のコントロール―情動に着目する金井流個人指導2

心と健康「健康生活の原理」

 心の状態と健康には密接なつながりがある、ということは、江戸時代の「気」の医学(気の世界観を基とした医学)の時代にはよく知られたことでした。

 ではこの「気」というもののはたらきをどのようなものとして捉えていたのかというと、「情動」として捉えていたのです。

 立川昭二氏は気と感情について、次のように述べています(『養生訓に学ぶ』)。

「元気の滞(とどこおり)なからしむ」

 生命の源である気は目に見えないままからだの中をめぐっている。病気もこの目に見えない気によっておこる。だから養生は気を調えることにある。それには気を和らげ、気を平らにすればいい。益軒は『養生訓』巻第二「総論」下で次のように語る。

 百病は皆気より生ず。病とは気やむ也。故に養生の道は気を調(ととのう)るにあり。調ふるは気を和(やわ)らぎ、平(たいらか)にする也。…

…気は、一身体(しんたい)の内にあまねく行(ゆき)わたるべし。むねの中(うち)一所にあつむべからず。いかり、かなしみ、うれひ、思ひ、あれば、胸中一所に気とゞこほりてあつまる。七情の過(すぎ)て滞(とどこお)るは病の生(しょうず)る基(もと)なり。

(七情…喜・怒・憂・思・悲・恐・驚の感情) 

 貝原益軒は、気を調えるとは、感情を身に滞らせないことだと説き、「人の元気は、もと是(これ)天地の万物を生ずる気なり。是人身の根本なり。人、此気にあらざれば生ぜず。生じて後は、飲食(いんしょく)、衣服(いふく)、居処(きょしょ)の外物(がいぶつ)の助(たすけ)によりて、元気養はれて命をたもつ。」と言います。

 このような捉え方は、『養生訓』だけではなく東洋の身体行・瞑想行に共通しており、東洋的な身心観(気を基とする身心一元論)の基本となるものです。

 哲学者の湯浅泰雄氏は、東洋宗教の身体行は「情動のコントロール」を目的としており、瞑想行が基礎となっていると論じました(『気・修行・身体』)。

 氏は同著で次のように述べています。

 

健康・心の治療・死

・・・外界に適応して自我というものが形成されていくわけですが、近代では、外界に対する適応と(そのための)心身のコントロールばかり考えて、内面的な情動や無意識の世界に対する適応と心身のコントロールということの必要をまったく無視してきた。

・・・東洋思想の伝統では、医学的な治療の問題は、各種の健康法や心身の訓練法としての修行の問題とそのままつながっている。・・・人間形成という観点からみれば、医学、心理学、宗教という問題領域は、元来一つにつながっているものだろうと思いますね。

  心療内科心身症という言葉は知られるようになって来ても、健康を考える上で、その人の情緒的安定性(情動が起きないのではなく、起きた情動を鎮める身体能力のこと)を観るということは、まだまだ一般に浸透しているとは言えません。

 また、感情は顔や行動、言動など「表」に出さなければコントロールできている、と考える人が多いと思います。そうやって外界(環境)に適応することを、子どもの頃から訓練されてしまうことが多いのが現代です。

 しかし、情動、無意識を抑圧する適応の仕方は、自身の自然治癒力・恒常性維持機能(ホメオスタシス)に対する「ストレス要因」となります。

 そして崩れた恒常性維持機能を元に戻すために出てくる症状を、投薬などでさらに「抑圧」することで、体が鈍くなり弾力を失うと、立て直しではなく、破壊につながる病気へと進んでしまうことになります。

 野口整体の行法と思想は、こうした原理と東洋宗教の身体智を基にしている、と金井先生は説きました。それは先生が個人指導を通じて得た「健康生活の原理」というものなのです。