野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

体から心へ―禅文化としての野口整体Ⅱ 5

腰(腰椎下部と骨盤)は身体の中心

今回は、教材Ⅱの二 禅・立腰教育・正しい正坐(24頁)から始めます(教材の
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 森信三氏の立腰教育というのは、小学校などでは一定の認知度があるようで、私も小学校四年生位の時に、担任の先生に姿勢を正す時(椅子坐で)、腰骨を立てるとか、脱いだ靴をそろえなさい、などの注意をされたことがあります。

 整体を始めた後、金井先生に立腰のお話を聞いて思い出した程度ですから、当時きちんと身についたとは言えないのですが。

 ここでは、立腰(腰骨を立てる)とは「坐骨で坐る」という意としてご理解ください(そうすれば自ずと腰骨は立つ。あまり意識すると反身になりやすいので注意)。

 今、正坐をする時も、骨盤を起こして正坐する人が少なくなっており、椅子坐であればなおさらです。姿勢を正すにも、背筋を伸ばすことは知っていても、骨盤は注意がいかない人が多いかと思います。

 背骨には生理的湾曲というゆるやかなS字カーブがあり、立姿と二足歩行を可能にしています。野口先生は「生理的湾曲がきちんとしていない人は、大人の年令であっても赤ちゃん歩きだ」と言いますが、この生理的湾曲が弱い人も増えています。

 腰椎部(特に三番)が硬い、または力が入らないために、お腹を出したり反身にしたりして上体を支えているのです。

(註)発達段階に応じた「正常」があり子どもの体と大人の体では相違がある。

ここでは「発達し損なっていること」を問題としている。

 身体の重心が定まる上で、骨盤を土台にして背骨が「立つ」ことが必要で、椅子に坐す時は左右の座骨を着地点とするのです。

 金井先生提唱の「正しい正坐」においては、踵と座骨の位置を定めることが骨盤を土台にするポイントとなり、頭の緊張を弛める刺激ともなります。

 このように、意識で落ち着こうと努力するのではなく、身体に注意を向け、整えていくことで心の落ち着き、安らぎという状態を引き出すのが整体であり、東洋的身体行の特質なのです。

 そして、4 身体性が文化の差異を生む に見られる東西の文化と身体の違いについての視点は『病むことは力』にもあるもので、未刊の上巻第一部第二章で、金井先生は次のように述べています。

気候風土や地理による人と自然の関係(自然観)が、心と体の関係にも反映し、西洋では、人間が自然を支配する非連続的自然観から、頭(理性)が体(自然)を支配するという「心身二元論」が生まれました。そして東洋では、連続的自然観から「身心一元論」が生まれたのです。身体における二元論の中心は頭(理性)で、一元論の中心は腹(肚・丹田)なのです。このような東西の「心身観」の相違は、文化の相違となって随所に表れてくるのです。

・・・私は、日本人と西洋人の身体的な違いと文化的相違の関係について、これまでも「野口整体の視点」から折に触れ述べてきましたが、この度、石川学の学びを通じて、世界共通の普遍的真理とされる科学(科学的なものの見方)が、西洋の自然観・宗教観を背景に持つと知ったことは、大きな学びでした。

 日本人は「腰・腹が中心」、西洋人は「頭・腕が中心」という意味は、重心位置が違うので、動作の起点(最初に力が集まる)となるところが違うということです。これは整体独特の観方だと思います。

「伝統的な日本人の身体は「骨で動く体」であり、西洋人の身体は「筋肉(随意筋)で動く体」なのです。」というところを補足しますと、骨で動くというのは力を入れるのではなく気で動く。筋肉で動くというのは力を入れて動かす。ということです。「気骨がある」などと言いますが、気と骨は一組のものです。

 体を鍛える上でも、骨をしっかりさせるのか、筋肉を強くするのかという発想の違いがあり、丈夫な家を建てる時にもその発想が出ているのです。

 このような身体性の違いは、今や西洋と日本と言うよりも、伝統的日本人と現代の日本人の違いといっても過言ではありません。

正坐についてのより詳しい金井先生の文章が、野口整体 気・自然健康保持会HPにありますので読んでみてください。

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正しい椅子坐 坐面に座骨を着け、骨盤を立て座骨の上に坐ると、重力の線は体の中心を通る。