野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第一章 野口整体の身心の観方と「からだ言葉」三1

地に足が着く・浮足立つ

 ある個人指導で、終わりの正坐で腰が入ったことを確認し、立姿になってもらい「どのように感じますか」と尋ねますと、「足の裏がピタッとし、しっかり立てている感じです」と、この人は答えました。

 この時「これが、地に足が着くと言うのです」と言いますと、「地に足が着くというのは、感覚を伴った言葉だったのですか!」と興奮して話す相手に、私がびっくりしたのです。

 現代は、からだ言葉をある程度知っている人であっても、心理的にのみ理解し、生理(身体感覚)的には理解していない時代です。昔の人が当たり前に解っていたことが、現代では分からなくなっているのです(心が体から頭へと移動した)。 

 この反対に「浮き足立つ」という言葉があります。

 こんな個人指導の例がありました。ある年配の女性を定期的に観ていたのですが、ある日「今日は、足が浮き足ですよ。どうしたんですか?」と言ったのです。すると彼女は「いやー、昨日は全く浮き足立ってしまったんです」と。

「浮き足立つ」とは「恐れや不安を感じて逃げ腰になる」という意味ですが、心の動揺(頭の緊張)によってアキレス腱が緊張し踵が浮くことなのです。私よりも十歳ほど上の人でしたから、こんなからだ言葉による対話が成立したのです。

 伝統的な日本の身体文化では、踵が安定するための「摺(す)り足」が基本となっています(相撲、剣道など)。昔の日本人が「摺り足」で歩いていたのは、「地に足が着く」ことで「腰を決める」ためだったのです(=本気の発動)。武士においては「浮き足立つ」ことは命に関わることでした。

 踵を着けることで頭が余分な働きをせず、それで心の安定を図っていたのです。踵を着けアキレス腱を伸ばすことは、神経が余分に緊張するのを防ぐはたらきを活用していたのです(身体精神現象と言う(註))。

 このような身体技法を通じて身心を制御し、心を高めていたのが「日本の身体文化(「型」)」なのです。

 師野口晴哉の本の中に「真人の息は踵を以ってす(荘子(註))」というのがありましたが、体(心)を落ち着けるには踵を意識するのは大切なことです。

 整体指導においては、自分の身体意識により自身の心と体の関係を感じ捉えることから、相手の身体をそのように観察することができるのです。

(註)身体精神現象 身体を整えることで心(精神)を調えること。

禅の調身・調息は「調心」をもたらす。

(註)「真人の息は踵(くびす)を以てし、衆人の息は喉を以てす。」

世俗の人間はせわしない息づかいを喉であえいでいるが、真人はしっかと大地を踏んで立つその踵(かかと)の底から生命全体を呼吸する。

福永光司荘子』大宗師篇第六)

道=自然(おのずからなるもの)に随順し、宇宙の実在と一つになるところに、何ものにもとらわれない真に自由な人間の生活が実現する。荘子はこのような道を師として真に自由な生活を生きる人間を真人と呼ぶ。