野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

第二章 江戸時代の「気」の医学と野口整体の自然健康保持 ― 不易流行としての養生「整体を保つ」一 1①

 今日から第2章に入ります。以前から立川昭二氏の『養生訓』の思想や江戸時代の気の医学について紹介していますが、この章はその集大成で、野口整体とのつながり、そして近代医学との相違も詳細に述べられています。

 立川先生は、近代と近代医学が見失ったものを江戸時代の気の医学に見出したのですが、ここに金井先生との共通点がありました。それでは本文に入ります。

 

一 身体にある心(身体性)と「養生(生きるを養う)」

 「気」の文化・からだ言葉から養生へ

  第一章二、三で述べたように、整体指導における「気」による体の観察を通じて、後年観察力が発達した私は、「からだ言葉」を生み出した、かつての日本人の身体意識とそれに基づく観察能力が、いかに高かったかを痛感するに至りました。

 こうしたことから、からだ言葉についての著書を探す中で、立川昭二氏の著作『からだことば』(早川書房)に出会ったのです。

 このような機縁から、後に、立川昭二氏の説く江戸時代の気の医学、貝原益軒の『養生訓』(註)について学ぶことになりました。

(註)貝原益軒(1630年~1714年)の『養生訓』

江戸時代の本草学(薬学)者、儒学者福岡藩士。自分の足で歩き、目で見、手で触り、あるいは口にすることで確かめるという実証主義的な人物で、日本科学史に名をとどめる博物学の大著『大和本草』の著者でもある。1713年世に出た『養生訓』は、益軒が八十四歳の時(死の前年)「養生」について纏めた著作で、江戸時代に出版された数ある本の中でおそらくロングセラー第一位の書物。

 

立川昭二氏の『養生訓に学ぶ』について学ぶ

『養生訓』には、戦国乱世後の泰平の世・江戸という成熟社会に暮らす人々の生き方・思想が説かれています。

益軒は貧窮のなかで育ち、母を六歳で失い、若い頃は定職につけなかったという苦労人でした。しかも生まれつき虚弱で生涯病気に苦しみましたが、絶えず健康に留意し、克己修養のおかげで八十五歳という長寿を得たのです。

長生きしただけでなく、晩年になって幸福を得た益軒の人生観、つまり人生の価値を後半に置く生き方がその根底に流れています。

立川昭二氏はその著『養生訓に学ぶ』で、益軒の思想の要旨を四つにまとめています(第一部『養生訓』の思想 PHP新書 二〇〇一年)。

 

1 いのちへの畏敬

2 楽しみの人生(老いてこそ真に味わえる人生の楽しみ)

3 気の思想(身心の本(もと)は「気」であるとする身体観)

4 自然治癒力への信頼

 これらの内容は野口整体にとって意義深いものであり、日本古来の「気」の思想を知ることで、「気の世界」である野口整体の理解を深めることができます。

『養生訓』出版の後、江戸時代の人々の間で盛んとなった「養生」とは、一言にして言えば「身をたもつ」ことでした。それは、「心と体(=身(み))を健全に保つ生き方をする」ことを意味していました。このために必要なのが、からだ言葉を生み出した「身体性」なのです(気の感覚で養生)。

『養生訓』での教え「身をたもつ」は、野口整体の「整体を保つ」と同義というべきものです。しかし現代の若い人においては、「身をたもつ」そして「気の思想」は知られていません。野口整体を身に付ける上で大切な養生について、立川昭二学を通じてぜひとも伝えたいと思います。