野口整体 金井蒼天(省蒼)の潜在意識教育と思想

金井省蒼(蒼天)の遺稿から説く「野口整体とは」

気による体力発揮と養生―立川昭二氏に『江戸時代の気の医学』を学ぶ2

気による体力発揮と養生

 今、「養生」というと、体の弱った人や老人が栄養や睡眠を十分にとったりすることを思う人が多いかもしれません。しかし、江戸時代における「養生」とは命、生きる力を養うことであり、それは病気にならないようにするためだけの健康法ではありませんでした。

 立川氏は「養生」について次のように述べています(『養生訓に学ぶ』)。

「人身は至りて貴とくおもくして」

…江戸時代には今日の「健康」ということばはなかった。それにあたるのが「身をたもつ」ということばであった。益軒は言う。人はなによりも「養生」をまなんで健康を保つことである。これが「人生第一の大事」である。

…そして、この「人身」つまりからだは天地父母につながるものであるから、「道にそむきて短くすべからず」と益軒はつづける。

こうしたいのちとからだの尊厳への意識から、「身をたもち生を養う」養生ということが、人間にとってもっとも重要な倫理となる。益軒のいう養生はしたがって、たんなる健康法ではなかった、人の生き方の問題だったのである。 

  また、野口晴哉先生は貝原益軒の『養生訓』は「べしべからずが多すぎる」などとも言っていますが、古くからある「養生」の病症観、身体観について次のように述べています(『月刊全生』)。 

健康に生きる心(六十四)

…人間のお腹の中にいる大腸菌は栄養を分解して人体のために役立っているのに、それが体が弱ると、大腸カタルとか関節炎とかの原因になる。相手(細菌)が悪いのではなく、自分の体力が弱ったことがいけないのです。自分が弱ったからそう(病気に)なったのだから、相手(細菌)を殺さなくてはという前に、自分を省みる。自分を充実することを考えればいい。昔は(江戸時代の養生というものは)そうだったのです。体が弱ると、体力を揺す振った。…昔の人が考えていたように素質として見、素質を丈夫にするように養性(養生)することの方が大切であり、自分の眠っている力を喚び起こすことの方が本当の衛生であったのかも知れない。だから自分の力を揺す振り起して健康に生きることを心掛けたのです。(カッコ内は加筆)

 外側の原因を探してそれを排除するという考え方ではなく、抵抗力を発揮し、生命力を呼び起こすことを考える。これが江戸時代の「気の医学」で「気による体力発揮」を中心としているのです。