2019-01-01から1年間の記事一覧
正心・正体=整体・感受性を高度ならしむる 刺激に対する反応のあり方を感受性といいますが、感受性は体と心の状態によって、鈍くなったり敏感になったりします。 これがきちんとはたらくように身心を整えるのが「整体」で、「整体指導の目的は感受性を高度…
脳と行動をつなぐ脊椎と生きる力・対話の力 野口整体では、「要求と行動を一つにする」ことを、体力発揮の中心としています。要求を感じ、そして考え、行動する。最初に要求があることが自発的であるということです。 自分は意志が弱い、こうしようと思って…
近代以降、日本と日本人が変化したのはなぜか 今回は、下巻第七章ではなく、上巻の内容に戻ります。 日本と日本人の身心の変化について、後に金井先生は、次のように述べています(上巻『野口整体と科学』第三章一)。 (金井) 一、「こうも頭で生きる人が…
人間を観る眼と背骨 今回から下巻第七章の最後の主題に入ります。 ここでの内容は、2006年から始まった、月刊MOKUという雑誌に金井先生が連載した記事の最終回が基になっています。これは、私が整体について自分も学びながら、先生の文章づくりと編集の手伝…
健康と人生の質を統合する生命の智・養生 今回も、立川昭二氏の『養生訓に学ぶ』からの内容です。健康とは医療に管理してもらわなければならないもので、体のことは自分ではどうしようもない・・・と思う人が多いのが現代ですが、野口整体の理念は「自分の健康…
人生後半の意義が失われた現代 今回は「若い時の苦労は買ってもせよ」という言葉の意味を考えつつ、読んでみてださい。では立川昭二氏の「養生訓」に戻ります。 (金井) 立川昭二氏は、なぜに「養生」の必要があるのかといえば、それは人生の喜びが五十歳を…
成長する可能性を秘めているから「修行」がある (金井) 明治政府は、西洋近代医学を国家医学と定め、江戸以来の伝統医療を正当な医療から排除しました。 こうして西洋医学が普及したことで、現代では「体は専門家に治してもらうもの」、また「勝手に毀れる…
江戸時代の病症観 今回は、『養生訓』の病症観についてです。立川昭二氏にお会いした時、野口晴哉先生の『風邪の効用』を読んで間もなく『養生訓』の研究を始めたとのことでした。 そして子どもの時も、若い時も体が弱かった立川先生は、病症というものの教…
「おのづから癒る」を待つという「受動性」と、持てる力の行使という「能動性」 今回から、以前にも本ブログでからだ言葉についての内容で登場した、立川昭二氏の『養生訓に学ぶ』を使った内容に入ります。これも下巻第七章に収録されています。 次は、2009…
気で観る身体 以下の文章は、2010年頃書かれた、整体指導で観察する身体についての金井先生の文章です(現在は推敲・編集が進み著書用原稿に収録)。これは確か、友永ヨーガ学院での講座のために書かれたもので会ったと思います。 先生はこの中で、「肉体」…
私は以前(2010年位)、金井先生の著書の企画書用に次の文章を作ったことがありました。これは、ブログのために推敲したものですが、これまでのまとめとして紹介します。 現代では、感情の不安定、主体性のなさ、心の共感能力が弱く他者と関係性がもてない、…
心理的中心と重力的中心の一致 金井先生は以前、人間の中心について、野口整体の観点から、次のように説いたことがあります(近藤による編集)。 「心の中心」とは、身体感覚的中心のことで、この二つの「中心」が一つであることを古来より「心身一如」と呼…
近代化と日本人の重心位置の変化 以前、『「気」の身心一元論』の読書会をしていた時に「人間の中心」について説明する機会があり、「自分はどこにあると思うか」を参加者の皆さんに質問したことがあります。その時は「胸」と「頭」という答えだけで、「丹田…
(金井) 野口晴哉先生は、昭和元年頃(当時一五歳)道場を開きました。その数年後、「健康と心の関係」について次のように述べています。 (註)『野口晴哉著作全集 第一巻』(養生編 昭和5~6年)より。原文は旧仮名遣い 全生論 全生について 全生――生を全…
近代化と日本人の身心 私が中学・高校生当時の授業では、近代史はアウトラインをなぞるような教え方をすることが多く、当時の日本人が近代化過程にどのように適応していったのかなどは教えられることはなかったように思います。 しかし、近代化というものが…
身体の近代化と重心位置の変化 引き続き、下巻第七章の内容ですが、ここからは下巻の内容に上巻の内容を交えながら進めたいと思います。 中心となるのは、人間の身心に近代化がどのような影響を与えたか、ということです。西洋の文化基盤から生じた近代文明…
修行は無意識を啓くためにある 鈴木大拙の内容に入る際、ダライ・ラマ法王のことについて少し触れましたが、法王は各派に共通する仏教の基本的な考えについて述べる際、次の偈(仏典の中の詩句)を引用していました。 仏陀たちは有情がなした不徳を水で洗い…
知性だけでは分からないことと、「型」という身体性 今回は、前回少しだけ引用した養老孟司氏の文章を紹介します。 これは、オウム真理教事件が起きた当時、養老氏は東大教授であり、氏は教え子に当たる東大出身の関係者もいたことに、非常に衝撃を受けたと…
意識と無意識をつなぐための「型」 日本の身体作法は腰と肚を中心としており、今でも茶道や武道など、様々な稽古事を教える時は、「型」という動作時の基本の姿勢を通じてそれを教えています。 近代以前は、「型」という定義をしていたわけではありませんが…
修行とは何か 5月8日のブログで、私は「金井先生の説く目的論は、「修行とは何か」を説くことに主眼があった」と述べました。 今回から、下巻第七章 背骨と日本人の感性― 気の思想と目的論的生命観の内容に入って行こうと思います。 この内容は、野口整体の…
河合隼雄氏は、先に引用した文章の終わりで、「自我はその形成過程において、それを取りまく文化や社会の影響を受けるということと、自我はあくまで完結していない常に変化の可能性をもった存在であるということである。」と述べています(『母性社会日本の…
無心と「感ずる」ことのできる自我 金井先生は、野口整体の活元運動、整体指導における身体的側面が、心に関与するためにあることを常に説いていました。 今回から、現在の自分の心のあり方=自我のあり方という観点から、無心になることを通じて、今の自我…
自我の再構成と心の成長 今回は「自我の再構成」について、先生の原稿のみで構成しました。 見出しはブログ用に新しくつけています。 (金井) コンプレックスと自我 ユング心理学で「自我の主体性を脅かすもの」(前出『コンプレックス』から)が「コンプレ…
コンプレックスと向き合うための自我の強化 金井先生は、下巻でNさんが個人指導を受け始めたころの心理について次のように述べています。 ユングの「コンプレックス」は、「感情複合」と訳されています。第五章で述べたNさんの心理的な病症、生理的な病症…
自分を理解するために必要な自我とは ここで、中巻と下巻にわたって扱われている「自我の再構成」と「自我の強化」についてまとめておこうと思います。 風邪の効用 23で湯浅泰雄氏の文章を引用しましたが、その中で湯浅氏は次のように述べています。 ・・・外界…
病症経過と身心の成長 (金井) 西洋医学では、体に起きてきた病症というものを、正常と異常という二分法(二元論)で捉え、症状が無くなれば正常(=健康を取り戻した)という考え方です。 野口整体では、病症を肯定的に捉え、病症を経過することで体が治る…
腰椎三番が目覚めた身体と生き方の変化 Nさんは公開講座の後も個人指導を続け、その一年後(2010年2月13日の個人指導)で、変化の時を迎えました。 その時のことを、金井先生は次のように述べています。 さらに心のはたらきが出てきたこの時、Nさんの身体…
自我の重要性 自我とは「私」という意識のことです。心の原動力は無意識・潜在意識にありますが、その内容を意識化し、「自分のことを考える(内省する)」のは自我の働きです。中巻『野口整体とユング心理学』から、自我についての説明を紹介します。以下は…
病症経過から成長へ 2006年2月から個人指導を始めたNさんは、金井先生の第二回公開講座(於熱海道場2009年2月28日)に参加しました。 その頃、Nさんは線維筋痛症を経過し、健康を取り戻しつつありました。人間関係も広が って、かつてないほど「生きている…
病症と生き方の関係 これから中心となるNさんという女性は、「線維筋痛症(全身に激しい痛みが生じ、原因不明の病気。心身症の一つとも考えられている)」に悩み、個人指導を受け始めました。 個人指導を始めて四年後の2010年2月、Nさんに金井先生が「深く…